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蛾の2周忌
フェデリコ・ガルシア・ロルカ、ならびにダニエル・ギルデンロウ、あと私、誕生日おめでとう。
〔中略〕
いっぽうダニエル・ギルデンロウについては、同じく21世紀に場所を得た音楽家としての明らかな質的違いが安易な移入を許さない。数年にわたって私は彼のボーカルから多くを学び続けている(日課の練習用プレイリストにはもちろんPoSの楽曲も多く含まれており、『A Trace of Blood』なら90%くらいの精度でこなせるようになったが、『Used』はいまだに難しすぎて20%も再現できない。最後のハイトーンよりも、ラップも含む「音程を伴った語りのトーンコントロール」が異様にスキルフルであるためだ)が、ダニエルは同時にギターを筆頭とするマルチインストゥルメンタリストでもある事実を忘れてはならない。翻ってこちらは、8年前の最貧期に(人文学の勉強をするために)ギターを売り、のちに作曲家兼ボーカリストとして転向した者である。
しかしそれでも、同じ誕生日を刻印された者として、私にはダニエル・ギルデンロウの創造的苦衷がよく解る。彼自身の作品はもちろん、それが同時代の人々への正当な伝播を妨げている部分の所在までもが痛いほどによく解るのだ。たとえば、読者の手元にPoSの映像作品『Ending Themes : on the two deaths of Pain of Salvation』があれば話が早い。この2DVD+2CDボックス作品は、パッケージから内容にいたるまで「やりすぎ」の典型例であり、鉄製の蜘蛛の巣が張り巡らされた大広間のように複雑怪奇で危なっかしい出来となっている。『ツイン・ピークス』的な偽ドラマシリーズのボックスセットを模したと覚しいパッケージからして既に様子がおかしく、架空の賞賛/酷評レビューが背面に記載されていたり、必要とも思われない52ページのブックレット兼歌詞カードが採算度外視の出来であったり、「なぜライブとドキュメンタリー映像だけの内容でここまで」と色々な意味での詠嘆を余儀なくされるほど凝ったデザインがDVD本編のメニュー画面に施されていたりする。さらにこの映像作品に仕込まれている easter egg は、通常の映像特典とは違い、どうでもいいクイズ(「作業中のダニエルが机に置いていた飲み物の種類は?」とか「メンバーが楽屋で遊んでいたミニカーの色は?」とか)に全問正解しなければ解放されない仕様になってさえいるのだ。日本にはPoSのハードコアなファンが多くいるはずだが、あの映像特典を見るためのクイズに全問正解した者は私ひとりではないかと思われる。大方の人々は「なんでこんなのに付き合わなきゃいけないんだよ」と半笑いで呆れ、本編映像のみを楽しむに留めているだろう。しかしダニエルと同じ日に生まれた私は、律儀に彼の凝らした意匠を解題し、その過程で文字通り同病相憐れまざるを得なかった。「ああ、あなたも私と同じように、何をするにも通り一遍では済ませられない宿星のもとに生まれてしまったのだな」と。
もっとわかりやすい例として、このライブ音源を聴いていただきたい。ロニー・ジェイムズ・ディオの楽曲がトニー・ベネットふうの編曲で唄われているのだが、「なぜこの曲をそういうふうに……あっ、ふたりともアメリカ国籍のイタリア移民だからか! その共通点からこのようなマッシュアップにしたのだな」と一瞬わかりかけるも、途中でいきなりスティーヴィー・ワンダー『Master Blaster (Jammin’)』になるという展開を聴かされるに及び、「もうなにもわかんねえよ……」と項垂れるしかない。この音源を単なる気の利いたアコースティックライブとして楽しめる者は幸せだ。私にとってはさながら、自分自身の不可解な行動の具体例を目の前で上演されているかのような決まりの悪さが絶えず付き纏う。たしかに『Master Blaster (Jammin’)』は私も『χορός』の第10章で重要なモチーフとして引用したが、まさかこの曲は6月5日生まれの人間にとってのみ特別な意味を持つのだろうか……あっ、「7月より暑い」からか!? などと考えているうちに毎度いつのまにか演奏が終わっているので、たった4分半の音源であるにも拘らずいちども満足に聴き終えた感覚が無いのだ。
それ以外にもダニエルの Facebook には譜割の解説が書かれていたが、「拍子自体は4/4で、4分音符2つぶんの連符の取り方が7単位で進行しているんだよ。ケツだけ7連符の3拍を4で刻むんだけどね」と言われたところで、小手先の変拍子で頭がカッチカチになった「プログレメタル」の主要顧客層などは困惑するしかないだろう。もちろんここでダニエル(双子座)が解説しているリズムのアイデアとは、菊地成孔氏(双子座:ちなみに私の実姉と誕生日が同じ)が「アフリカ=微分的ポリリズム」として早くから研究・実践していたものであり、私(双子座)もそれを菊地氏の講義動画から学んで Parvāne の音楽に導入していた。前文で挙げた双子座の音楽家3名は、「退屈でないリズムを追究しているが、自身はドラマーでない」という共通点をも持つ。しかしカッチカチな白人的「プログレメタル」の旗頭のように思われかねなかったダニエル・ギルデンロウが、西暦2010年代から「変拍子」ではなく「アフリカ=微分的ポリリズム」に接近し、その特性は菊地成孔氏が権威主義的なマイルス ・デイヴィス心酔者や自家撞着的な「クラブ・ジャズ」内部者からの著しい無理解に晒されながら実践していたリズムと同質のものであったという事実は、双子座の音楽家に課せられた尋常一様でない宿命を物語る。ダニエルは『Panther』収録『Restless Boy』のボーカルでまんま微分的(しかしポリ未満の、クロス)リズムを実践していたが、現在における菊地氏の興味はPoSよりも Animals as Leaders に在るようであり、所謂「いまジャズ」と「いま最も先鋭的で高級で清潔な音楽」ことメタルが接近する特異点としてトシン・アバシの名を挙げることが多くなってきている。いずれにしろ、本人はドラマーでないがリズムへの構造的分析に取り憑かれた音楽家らがおり、なおかつその者らが双子座の生まれであった場合、まず間違いなく奇怪な連鎖反応が誘発されると考えてよい。
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