最近の記事
言語表現を専門とするわけでもない者が行う軽率な言語表現によって撒き散らされる害毒について(Yuki Atori の実例を交えつつ)
Twitter が「バカ発見器」なんて呼ばれてた日の記憶は遠く懐かしく、X と名称を変えた今ではすっかり「バカ熟成器」または「バカ腐乱器」として完成されつつありますね。むしろ「バカ発見器」としての機能は note が十全に肩代わりしてくれているのが実相でしょう。今朝も出勤前に note のホーム画面を見たら、私が数ヶ月前からフォローしていた、とある、尊敬していなかったとは決して言えないベーシストの新着記事が表示されていまして、堂々と『音楽への無気力』と題されたそれは、 no
マガジン
記事
私には夢がある。それは、いつの日か、私のフリジアンモードたちが、「オリエンタル」や「エスニック」などという蔑称によってではなく、異化された調性内における役割そのものによって評価される国に住むという夢である。
ガルシア・ロルカと同じ誕生日の田畑佑樹が書いておりますこんばんは。だしぬけですが音楽理論に興味をお持ちの方、いまX(前Twitter)にて菊地成孔さんがお書きになっているフリジアン関連の記述をぜひスクリーンショットなりコピー&ペーストなりで保存しておいてください(ニコニコ有料チャンネルの代替的な仮住まいアカウントで、復旧し次第削除するとのこと)。凄まじく簡明にして重要な教材ですこちら(「映画監督による音楽への岡惚れ」もたいへん重要なトピックですけどね。私、大林宣彦の『22才