誰が私を心配してくれるの

こんばんは。今回は戻ってくるのが早かったです。春休みなので。
今回は特に、というかいつもですが深いことを書く日ではありません。

前回の記事で、
私の事は誰が心配してくれるの

という部分で、誰も心配してくれないことに気づいた私はリアルで涙が止まっていません。
わかりきっていることなのに。何ででしょうか。この記事を書いている今も何が悲しくて涙を流しているのでしょうか。

本気で死にたいはずなのに、次回の献血カードの日を気にしている。
本気で死にたいはずなのに、今度遊びに行く予定を気にしている。
本気で死にたいはずなのに、死んでしまえばどうでもいいのに周りの事を気にしてしまう。

なんと愚かなのでしょうか。私は意気地なしでしょう。死にたいと口だけ言って、死ぬことのできないただのファッヘラでしょうか。一応未遂はしたことあるのでファッヘラは勘弁ですが、弱虫で泣き虫なのには変わりありません。

自分は恵まれた環境にいるはずなのに
友達もいっぱいいて
何かあったらいつでも連絡してねと言ってくれている人もいて
学校の先生とも毎日会話して、相談するような仲なのに
親も優しくて

何でこんなやつになってしまったんでしょうか

小さいことでくよくよして
少し厳しく言われただけで泣き出して
要領が悪くて
漠然と死にたくて
腕も汚くなって
肝臓もダメになっていって

みんな私を正しい道に導いてくれていたはずなのに、どこかで道を間違えて

気付けば不安障害になっていた、という。

笑うに笑えませんね。

こんな屑人間、どこ探しても見つかりません。

殺してくれ、と願い続けた日々のとある日、気付いたのです。
他人に殺してもらおうなど贅沢な願いも大概にしろよ、と。
死にたきゃ周りに迷惑をかけずに一人で死ね、と。
そして誰にも心配されずに死ぬ恐怖と寂しさを前の記事で語ったわけです。

他人に渡した恩はいつか帰ってくるのでしょうか。
帰ってくることを期待するのは強欲でしょうか。


上手く生きれない。
器用に生きれない。
生存本能がある動物なのに、死のみを願っている。


自分が心配されたい人に死ぬほど心配して欲しい。
抱きしめてほしい。
大変だったね
辛かったね
大丈夫だから

そう声をかけてほしい
たとえ根拠がなくたって

痛い詩を書きたいわけではなく、私が思っていることが幼稚なのです。

涙で画面が見えなくなってきたのでここらへんで今日は終わります。
おやすみなさい。

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