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東京大学を目指してみようと思った話 ~「一点突出」の生き方~

 高校に入学して早くも1年が経とうとしています。もう少しで筆者も高校2年生になるわけですが、そろそろ志望大を考え始めなければなりません。そこで、筆者が第一志望として検討をしている大学は「東京大学」です。

 おいおいそんなに軽く言うなよ、と思われるかもしれません。確かに東京大学を志望して途中で挫折する人はかなり多いようです。

 ただ目標にするのは自由ですし、志望する理由も考えました。高校生として1年間色々なことを考えてきた上で、東京大学を志望しても良いのかな、という結論に至りました。

 その「理由」とやらをひとつ、今回は話していきたいと思います。

東京大学に「無理をして」行く意味

 偏差値35から東大に逆転合格!という人をたまに見かけます。高校生になって「自分を変えていきたい!」と思い、血の滲むような(大量出血するくらい)の努力をして東京大学に入学するのは、とても凄いことだと思います。

 彼らは何のためにわざわざ東京大学を志望しているのか、を考えてみます。

 東京大学に入学をするということは「学業面においては突出した高い能力を持つ」ことを最低限示してくれます。ですから自信も付くし、周りの目も変わる。それに伴い、価値観や人生自体が大きく変わるはずです。

 東大なんて日本一の大学なんですから、そりゃあ入れば周りはびっくりですよね(一般人に限る)。「何かしらの分野で、突出した能力がある」というのは大きな意味を持っていると私は思っています。(この「意味」については後述)

 私もそうですが、高校生にもなると何かしらの特技がなくて悲しくなる、という機会が出てきます。あの人はコレができる、あの人はアレが、あの人は……そして自分は…何もできない。

 よし、じゃあ勉強面でみんなを見返してやる!というのが東大の志望理由になるのではないでしょうか。

※話が逸れますが、自分は「色んなことができる人間」ではありません。勉強はできる方ですが、運動神経やコミュニケーション性、リーダー性、容姿などについては自信がありません。運動や容姿は最悪ですね……

 では逆に「色々なことが満遍なくできる」というのはどうでしょうか。
 こちらの場合の方が、視野を広くして生きていけるし、その分楽しいと感じることも多いのでは無いでしょうか。私はそう思います。

 勉強もふつうにできる、スポーツも楽しい、学校行事も活発にやっている、と行き過ぎた理想を想像するのもよく無いと思いますが、様々な事に触れられるだけ、色々な人や考え方に出会えると思います。

 偏差値35から東大を目指す、というのは後者の選択肢を完全に切り捨てることになります。東京大学は入試前はもちろんですが、入学後も勉強の日々です。

 自分は頭が悪いから、東大に……というのも分からなくは無いですが、後者の選択肢をまったく考えずに東大を目指すのは、個人的にどうかなーと思ってしまいます。

 東大に入る価値はあるかもしれませんが、偏差値は50くらいに、その分他の事にも満遍なく触れておく、という方が幸せな人もいるはずです。

 偏差値35、なら勉強の「センス」が無いという可能性が考えられます。どんなに勉強していなくても偏差値50や70を切らない人がいる中で偏差値35なのです。

 そんな「センス」の無い分野を、他の物事全てを犠牲にしてまで特技に変えることに意味はないと私は思ってしまいます

 じゃあお前はどうなんだと。私の場合は上にも書いた通り「勉強しかできない」です。逆に言えば、勉強のセンスは平均よりはあると思っています。

 科学に対する興味は人以上にありますし、高校数学もなんとなくですが中学卒業までにやり切ることができました。

 だから、何なのかを次の段落で描きます。

「一点突出」寄りの自分はどうすべきか

 色々なことが満遍なくできる、という人とは真逆のタイプの人が「一点突出」タイプです。「この分野だけならだれにも負けない!」、そんな分野が一つだけある人のことを指します。

 何かを頑張るうえで「成長」というのは「指数関数的なもの」だと私は思います。2を何回もかけつづけると、はじめは2,4,8,16……とあまり大きな変化はりませんが、これを10回繰り返すと1024、20回目には 1048576 になります。

 ただスポーツにしろ勉強にしろ何にしろ、この「繰り返す」という行為はは結構苦しいはずです。
 しかしこの「繰り返し」をひたすら行っていくと、何倍も何倍も高い場所に到達することができるかもしれません(「かもしれない」と書いたのは、「センス」の有無があるかもしれない、と感じたためです)。

 つまり、一点に集中して取り組み続けた人が到達する場所はけた違いに高いところなのです。そういう場所から見える景色は、絶対に今見ている世界とは違うはずです。

 私はどちらかというとこっちの方なんじゃないかな、と感じています。別に自信をもってセンスがある、と言っているわけではなく、「成功する可能性・成功した時に得られるものの価値がともに高そう」だと思っているだけです。

 思えば昔から、好きな事をやるとそれに熱中してしまって視野が狭まるという短所がありました。(これは短所か?)

 化学や生物、気になることがあればテスト前でも調べ学習ばっかやってしまった、とか趣味に没頭しすぎて課題が終わらない、といった経験が非常に多いです。特に「得意で」「楽しい」ことに対する集中力は人よりもあると自負しております。(その代わり苦手なことを得意にするのは、人よりもできていないと実感しています)

 自分の特徴を「しっかり」分析し始めたのは、高校生になってからでして、そこでようやく「自分」という人間が見えてきたのです。

 自分の「特技」がなんとなく分かってきた今、その特技を生かしていきたいと考えるのは当然です。勉強が得意で、平均よりはできる。なら、勉強(正確には「学問」でしょうか)に本腰を入れて頑張ってみようかな、そう感じるようになりました。

 まだまだ高校1年生で、あと2年間は高校にいることが出来ますが、本気で人生について考えてみるのもいいのかな、と個人的には思っています。

東京大学で何が手に入るん?

 このような流れから「東京大学」が視野に入ってきたのです。

 やけに短絡的だな、と思われるかもしれません。難関大学を目指す意味こそ見つかりましたが、その中でも「わざわざ東京大学を目指す意味」は正直自分でもまだ分かっていません

 確かに教授や生徒の質は高いですし、研究資金についても日本で一番充実しているはずです。でも、それだったら京都大学や東北大学、東京理科大学とか他の選択肢が見えてくるはずです。

 それなのに、わざわざ東京大学を目指す理由。何なのでしょうか。

 まだまだ東京大学や京都大学、東北大学などがどんな学校なのか、調べている段階ですから、今後具体的な志望校については変わっていく可能性が十分あります。

 ただ、東京大学に行けば確実に「日本1」になれる訳ですし、就職をするとなったときもかなり好条件。個人的に良いなと思うのは、開成高校や灘高校といった次元の違う「天才」という生物をまじかで観察できることですね。(私は彼らのことを人間ではなくヒトとして捉えています)

 あと、今現在は山梨住みですからあんまり関東を離れたくないなというのも東大を目指す0.1割の理由になり得るでしょう。

 東京大学。日本一の大学ですから、簡単に志望校にしたくはないですが、それを目指すようになった私筆者は、今年どんな人間に変わっていくのでしょうか。。。

東京大学 本郷キャンパス 赤門

 お読みいただきありがとうございました。


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