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思春期の悩みを聞いてほしい

 わたくし筆者は高校生でして、大人になるまでの残り少ない毎日の中で様々なことを考えています。自分の長所は何なのか、将来自分は何になるのか、など内容は様々ですが「自分がどんな人間なのか、どうなるべきか」を考えることが多くなりました。

 そんな中で生まれた「悩み」について少し書いていきます。

他人の「評価」

 自分自身で自分を観察するとき、もちろんですが観察する視点によって自分の姿が違って見えてきます。「特技・特色」という点から自分を見つめてみれば自信につながりますし、逆に「欠点」という視点から見つめるとどうしても「自分嫌い」になってしまいます。

 将来を悲観的に見ることはあまり良いことではないでしょうから、自分の観察は「特色」という点を中心に行っていくのがよいのでしょう。「自分はスポーツができるから、いろんな友達を作っていける」とか「頭がいいから研究者になれる」など、将来が明るく見えるような思考をしないといけないのではないか、とわたくしは思っています。

 そのためには、まず自分の「特色」を見つけるところから始める必要があります。上の例でいえば「自分はスポーツができる」、「頭がいい」の部分です。しかしながら、これが意外と難しいのです。

 他人の特技を見つけるのはできます。「数学すごいできるね」や「サッカーうまいね」、「話が面白いね」など他人を観察・評価するのはとても簡単なのです。

 ただ、問題は何と比較した「評価」なのか、ということです。先生と比べるのか、一般の平均と比べるのか。その中で、私は「自分自身」と他人を比較する癖があるのです(これが大きな問題)。なぜ問題なのか。

 友達を見て、自分よりも数学の点数が良かったとします。その時私が「数学すごいできるね」、と言ったとします。このときこの言葉は「自分はこの目の前に立っている友よりも数学ができない」という意味をもって私自身に帰ってきてしまうのです。そのような事の積み重ねが「自分は他人よりも劣っている」という思い込みを作り出してしまうのです。

 そうなると明るい将来を想像するどころか、「自分の特色が何なのか」すら分からなくなってしまうのではないでしょうか。

解決策

 さて上の内容に対して、「だったら相手の評価とかいう偉そうなことはやめて、自分自身を絶対評価するに意識すればいいじゃん」といった解決法が出てくるでしょう。ただ、私の悩みの本質はまさしく「これができない」ということそのものなのです。そもそも「意識する」というのは具体的な解決策とは言えません。

 まず、なぜ「相手の評価」なんてことを私はやっているのでしょうか。思い返してみれば小学生の時からこのような節はあったような気がします。

 「評価」という堅苦しい言葉を使っていますが、本質的には「他人の良さ・強みが何なのかを考える」ということです。ただ、「客観的な評価ができる」といいわけではなく、「自分と比べて優れているか劣っているか」という評価をしてきた自覚があります。他の人に「あなたはコレがすごいね」と根拠に乏しいコメントを言うだけの、残念な「評価」を私はしているわけです。

 この癖がどうしようもないくらい抜けないのです。相手を無意味に評価して自分に劣等感を植え付けるだけの、何一つとしてメリットのない行為だとは自覚できているのですが、どうしても辞められません。

 私は昔から運動神経があまりよくありませんでした。球技は全滅といっても過言ではありません。ただ、どんなにできなかったとしても学校には「体育」という授業があります。
 サッカーの授業。まわりの男子はみんなできるのに「私はできない」。そう毎時間感じます。おまけにそのサッカーがうまい子に「サッカー上手いね」と私は声をかけてしまったことによって、「私はサッカーできない」というのが自分にまた刻まれることになりました。

 このように私は「周りを過度に気にして、自分と比較する」という癖があるのです。これが「相手をすぐに評価する癖」がなくならないことへとつながっているのではないか、と自己分析をしました。

 では一番最初の解決法のうち「自分自身を正当に絶対評価する」ということについてはどうでしょうか。残念なことに私はそれもできていないような気がするのです。

 先から「自分と相手を比べる」と書いてきましたが、これをするためには「自分がどんな人間なのか」を知っている必要があります

 私はかなり昔から「相手をすぐに評価する癖」がありましたので、このことから「私はかなり昔から『自分がどんな人間なのか』を知っていた」、ということが分かります。

 でもそれは適切な自己評価ではなく、ただの「固定概念」である可能性があります。昔の自分が正当な自己評価をできるとは思いません(今でもできないのですから)。もしかしたら「運動神経が悪い」というのも、ただの思い込みなのかもしれません。

 ただ、昔から自分に染みついてきた「固定概念」を変えるのは本当に難しいのです。「運動神経が悪い」というのがもしただの固定概念だったとしても、今更それを変えていくのは難しいです。

思春期とは厄介なものですね

 さて、分かりづらいかもしれませんが内容はこんな感じです。簡単に言えば、「固定概念」と「自分と他人を比較する癖」の二つが要因となって、自信が著しく無い状態になってしまった、ということです。

 高校生になってこのことに気が付き始めたのですが、いざ対策をとろうとしてもなかなかできません。解決策があるのにそれを実行できないのです。だからより一層、今後の不安が増していくのです。

 スポーツができないの他にも、「努力ができない」「話が下手」「空気が読めない」「計画性がない」「ADHD気味」「デリカシーがない」など、欠点を考えると面白いくらいできます。改めて書き表してみましたが本当にひどいですね。おまけにどれが「固定概念」でどれが「本当の欠点」なのかすら分かっていません

 そして思春期は外見も気にする時期です。自分の容姿すら気に入らないです(鏡見たくないです)。。。。。。

 なんとかして対策しないとまずいですね。頑張ります。お読みいただきありがとうございました。





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