裸の王様の娘(3)
「快楽」と「魂とつながること」。
動物的な生殖は知っていたが、この2つは初めて実感を伴って理解できた気がする。いや、「理解」というより「じんわりと浸透し、体感した」という表現の方が適切かもしれない。言葉で説明できうる範囲から、大きく逸脱した世界のように感じた。
ケビンは「こうした方がいい」「こうあるべき」「これが正しい」という表現を使ったことがない。あくまで、自分のいち意見を述べるだけだ。ただ、なんとなく、この甘美な快楽の世界に溺れることだけなら、美しくないのではないか、と感じた。きっと、その世界に溺れたとしても、ケビンは優しく応えるだろうとは思ったが、そうしたくなかった。
この日を境に、私は変わったのだろう。「だろう」というのは、自覚ではなく他者の私への接し方が変わってきたからだ。私はただ、今まで以上に貪るように本を読み、精神を安定させるためにも、体を動かすことを、より意識しただけだ。見た目にもほとんど変わっていない。「快楽」を道具として扱えないと、本当の意味で魂と繋がることはできない。ケビンの言葉をそう解釈して、精神と体の安定する場所を探しただけのことだ。
「ケビンと私」という2人だけの世界から、違う世界へも少しずつ足を踏み入れ、立場関係なく、あらゆる人と交流した。「最近のアン様は笑ったり、悲しんだり、感情が豊かで、見ているだけで幸せな気持ちになります」。そう、幼少の頃から側にいてくれるサラが、涙ぐみながら私の髪をとかす姿を、鏡ごしに何度も見た。
どんな人と接しても、その空間に「憐憫」がまとわなくなった。
父の事件は私の周囲で絶対的な「タブー」だったが、名前を出すだけでなく、父の微笑ましい話や政治的決断をしたという武勇伝をしてくれる者達も出てきた。そして同時に、私が今まで蓋をしていた疑問が露呈したことでもあった。
父はなぜ、あのような行動を取ったのか。
穏やかな春の光が窓から差し込む。いつものように、私はケビンと魂の交流をしていた。「ケビンの体の一部を私の体内に取り入れたい」という高まる欲求をコントロールしながら、彼が私にそうするように、丁寧に口でそれを取り込んだ。動物が毛繕いするように、優しく。やがて、私という存在に安心しきったように達したケビンの様子を確認し、刺激とは違う意味で「それ」をそっと口に含むと、ある疑問が口をついて出た。
「父は、あなたと出会った酒場でどんな会話をしたのかしら?」
ケビンは穏やかな微笑みをたたえ、昨日のことのように話し始めた。
Japónという小さな東洋の島の話をしました。その国のTojiという寺に5つの層に分かれた塔があったんです。5層といっても、真ん中の「心柱」が天井まで吹き抜けのように突っ切っていて、フロア(階)ではない。5つのeaves(庇)があるだけです。この国は地震が起こりやすいのに、この塔は倒壊したことがないそうですが、それはどうしてだと思いますか?
今もなお、自分の事を子供扱いするケビンに、少し苛立ちを覚えながら、
「それは、全方位の柱をできるだけ頑強にすればいいだけのことでしょう?」
と答えると、「予想どおり」とばかりにケビンは笑った。
逆です。各5つの庇は緩く留められているだけです。心柱と交じりあうのは、てっぺんのところだけ。地震などで力が東からかかれば、心柱は西へとふれ、生物のようにバランスを取る。外界の動きを一部の庇が受けても、残りの庇と心柱が常にバランスをとってるのです。心柱も各庇の柱も、緩く繋がっているだけで、依存していない。だから強いんでしょうね。
そういって、右手の人差し指をゆらゆらと私の前で動かした。
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