うどんには差し水を、言葉には他者を
ところで、うどんを茹でる時は吹きこぼれないように差し水をするよね。
それがオフラインのやりとりで、独りよがりなコミュニケーションをしないようにすることと似てるなと思った話です。
オンラインだけの環境になってしばらく経った。
伝えたいことはあるのだけれど、長文で個人の話をだらだらと話してしてしまったり、結局何書いてるんだかわからなくなったり、見返して「あぁ」となることが増えた。
テキストは残るからなおさらね。
気分が落ちている時なんかは自分で送っといて目がチカチカしちゃう。
もとから存在していた書く技術と伝える技術の問題なのだろうけど、この環境でくっきりしてきた。
いかに今まで非言語コミュニケーションに助けられてきたかを実感してる。
相手との距離感も、こっちは私服にブーツで軽い気持ちでパス出したのに、あっちはユニフォームもスパイクも揃えてやる気満々だったら「は?」となってしまう。
対面のように相手の表情や動きに合わせて、トーンや表情を変えれないから難しいよね。
伝えたいことはあれど、相手に届いてのコミュニケーション。
テキストだけのやり取りでも相手がどう受け取るのか、どう送ったらいいのか、要件を絞るとか、完全にはわからなくても考える姿勢を持つことは諦めたくないな。
と、考えていた今日のお昼時、うどんを茹でていました。
コポコポと音を立てているお湯
揺れ動くうどん
まるで頭の中のようだなと思いました。
吹きこぼれそうなとき、差し水をしました。
吹き出そうな泡は落ち着くわけですが、これまた頭の中のようだなと思いました。
伝えようとしているエネルギーだけが、吹き出し溢れてしまう。そこで頭の中に他者の視点を入れることで、言葉や思考が締まる。
そんなことを考えたお昼時です。
うどんは美味しくいただきました。
同じうどんなら美味しいうどんを届けたいものです。
調べたら、差し水は薪でも使ってない限りコンロの火力調整で事足りて、コシが出る説も科学的な立証はないそうです。
あらららら。