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どす黒くて乾いた水たまり

以前消防士として働いていたのだけれど、「人のような何か」をよく見た。

お医者さんも看護師さんも見ることのないだろう、あとは処理されるだけのものを現場で見た。

黒く変色し虫だらけのもの、膨れ上がっているもの、何かで貫かれているもの、ぐちゃぐちゃなもの、悪意を向けられたもの、そうなることを望んだものなどキリがない。現場は生活の匂いが残っている部屋もあって、思ったより「死」は身近なものなんだなと思った。

異常な空間を自分が再現することになるかもしれないと思うと、異常も自分の延長線上だと思った。

異常と思うことを、自分が再現しない可能性は0ではない。

そもそも異常とはなんだろうか。

そう思って以来、自分と違うものを馬鹿にすることはできなくなった。


加害者、障害者、LGBTなど、いろんな括りがあるが自分は違うとは言い切れない。不意になるかもしれない。もうそうかもしれない。

余談だけど、滲み出た体液は変色して、乾いた黒いインクのようになっていることが多かった。どす黒かった。

そして黒曜石のようで綺麗だと思っていた。

「人だったもの」もよく見た。

生暖かさが少し残っていると、人だと認識してしまうのでどっちかにして欲しかった。

「死んだ」とみなされるのは、「3つの要件のいずれかを満たす」と救急車の隊長が判断した時以外認められていないので、僕は胸を押すしかなかった。そうすると、しなやかさがない端っこは胸を押す動きに合わせてガコガコ床に当たり、正直怖かった。

冷ややかに見る家族が立ち会う時は悲しかった。「運ばなくていい、むしろ心肺蘇生をやらなくていい」そんな視線を浴びながらパキパキと骨を鳴らし続け、傷つけるようなことをするのだ。

立場としても、「法律だから」「なにかあったら責任取れないから」言っていることはわかる。なんとなくだけど、死んだ予想はついているが断言はできない、もしかしたらと思うとやめることはできなかった。ただ本当に悲しかった。

親族からしたら終わりにしたい。

こちらからしたら自分の身を守りながらも救いたい。

どちらも正しい。

どちらの出来事も明確な線引きはないと思った。

混ざる部分はあるだろうし、白か黒かは重なりからはみ出た部分がそう見えるだけだと思った。

その人の正常が自分にとっての異常であっても、対立しないグレーの部分はあるだろう。

黒と白で安直な連想だけど、絵の具のようだと思う。

黒と白の絵の具を眺めただけではグレーにもならない。混ぜる行為がなんであれ、混ぜなければ生まれない色もある。ただ相手の影響で真っ黒になっても真っ白になってもそれは元の自分ではない。

だからこそ自分を持った上で、相手の話を聞きたい。違うだけで責めたくないし排除したくない。違って当たり前なのだからそれはそれで楽しみたい。

そして、もし違いを気にして落ち込んでいる人がいたら、「おいでよ」とそばにいてあげることから、混ざっていきたい。

そっとそばにいることで、いつかふたりが混ざりあった新しい色をつくりだすことができるはずだから。


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