都会の波止場としての東京海上ビル②
「東海ビル取り壊し」のニュースを聞いたとき、束の間、僕は心を奪われてしまった。ビルの持つ歴史的な事実とは異なる、ある種の個人的な感傷が想起された。
都会の余所行きな街路樹が朝露に濡れる頃、東海ビルには日本中から夜行バスが漂着する。
(前回記事の続き)
日本人口の9割を占める「地方」出身者にとって「上京」という言葉には過去や未来、恋や友情、希望や絶望が詰まっている。実態はない、誰もそれをみたことがない、幻影、概念、巨大なコンクリートの森林、あるいは小さく透明な蝸牛(かたつむり)。
上京という魔物を思い返すと、それを中心として回っていた20代のつまらなくて輝いていた日常、恥ずかしくて死にたくなるほど凡庸な場面が浮かぶ。
上京の舞台はいつも新幹線や特急電車の駅のホーム、空港、駐車場。それらは僕にとって、懐かしい人々の顔や言葉を思い出す、単なる建物や移動の中継点以上の存在だった。
僕にとっては夜行バスがその際たるものだったように思われる。
北陸にいたときも中部地方にいたときも、就職活動や実習を東京でするために、貧乏学生の僕は夜行バスに乗った。
利用者ならわかるだろうか、バス内の異空間はあまり思い出したいものではない。束の間の旅のクルーたちは遊園地を目指す学生、スーツ姿の中年の男性、疲れ切った眼をした就活生、身元不明なあの時代のノマド達だった。動物が生きる過程で発せずにはおれないガスやリキッドが、錆びた工業地帯を掌に閉じ込めたみたいに混じり合い充満していた。いびつな咽頭の解剖学的構造を思わせるいびきは止まず、喜怒哀楽の涙に濡れたクッションは固い。絶望的な模様をした湿って埃っぽいカーテンの合間からはときにヘッドライトの残酷な光が射した。心の芯まで丸裸にされた気がして、眼をすぼめ体を縮めたあのときの僕はどんな小動物よりも脆弱な気がした。
深夜の高速道路を走るそのうごめく塊にいる間は矮小な自分の儚さを思った。夜行バスという生き物には、安眠するにはあまりに霊的なものが込められすぎていた。
そこでは誰しもが東京の持つ魔力に引き寄せられ、ときに拒絶され、清潔な魂を吸われ続けていたようだった。
そんないびつな乗り物が終着するのが東海ビルの前だった。真夏でもまだ肌寒く薄暗いある朝に、丸の内仲通りの広い道路の岸辺へ生死不明な僕らは降り立つ。それはいつも小雨の降る午前5時だった。そしてそのどんよりとした霧の立ち込めたようなイメージの東京の中心で、見あげれば前川の東海ビルはそこにあった。
それが出来た当初の近代史や建築家の思惑も何も知らなかった僕にとって、それは朝露に濡れる冷たい都会の象徴だった。
一見、重厚で排他的な高層ビルの下に漂着した僕は、確かにそこで希望の匂いを嗅いだ。様々な願いのこもったこの褐色の塔に見守られて僕は迷いつつも一歩を踏み出した。
その場所で新たな生活を見出すために。
都市と人間という非対称な関係性を繋ぐもののひとつとして、建築は僕らに少なからず影響を与えると思う。
僕にとっては東京海上ビルは人生の長い航路の途中、荒波ともいえる混沌とした社会における波止場だった。