瞑想する老婆
以前インドのOSHOアシュラムで、杖をつく老婆に出逢った。おぼつかない足取りで一人寡黙に毎日アシュラムに通い、一人瞑想する。まるで将来の自分の姿を見せられたようで、忘れられない記憶である。
老婆は幸せだったのか、不幸だったのか。毎日瞑想して、ついに神に出逢えたのか、出逢えなかったのか。神に聞いてみた。
「彼女は幸福も不幸も超越した世界に住んでいる。私(神)に出逢えるかどうかも、彼女の幸せには関係がない。それは、登山を楽しみながら鳥に出逢えるかどうかといったことである。鳥に逢っても逢わなくても、山の魅力に変わりはない。彼女は山を楽しむ。鳥が棲むことをわかっているからである。鳥の棲む山を、彼女は愛するのである」