見出し画像

柿谷曜一朗 ジーニアスの現役引退

柿谷曜一朗選手の引退会見にて
「いまはミーティングでも、ようわからん戦術があまりにも山盛りで出てくるそれについていくのがしんどいし、試合のために練習を見直すとか、僕のイメージからすると、そんなのはサッカーちゃうやろうと。サカつくやん、みたいな感じなんですよ。ミーティングなんかどうでもいいから、ボールをまず止めて相手を抜く。それができてからの話や、という感覚で育ったから、サッカーがほんまに難しくなって
引用:https://www.ronspo.com/articles/2025/2025012402/

1980〜1990年生まれあたりは特に、ファンタジスタに憧れた世代。
バッジョ、ジダン、中村俊輔など個々の技術や自由な発想で試合を変えることができる選手「ファンタジスタ」に特別な感情を抱き、自分もそのようなプレーヤーになりたいと夢見た。

1980年代から2010年頃までは、個々の選手の技術、そして試合を一変させることができる即興性が求められ「芸術性」や「創造性」が試合の勝敗を左右する重要な要素であり、そのようなプレースタイルを美しいとする風潮があった。
日本でも2002年〜2006年までのジーコジャパンでは、特にその色が強かったと思う。
ジーコは「自主性」を掲げ、ジーコ哲学の重要な一部だった。
その流れが育成年代でも浸透し、選手が自ら判断し即興的、且つ創造的なプレーをすることを奨励され、その頃は試合中や練習中においても、選手が状況に応じた最適な選択をする能力を養うために、多くの自由度を与えられていた。

1990年生まれファンタジスタに憧れた世代でもありジーコジャパン期に育成年代だった柿谷選手は、チームの戦術や与えられたタスクを遂行する習慣がなく、その結果、戦術リテラシーが上手く高められず現代の多様な戦術化に対応できなかったのかもしれない。
もしも、ジーコジャパンで柿谷選手が見れていればどんなプレーを見せてくれたのか、、、

現代は、天才よりもシステム上の最高傑作が求められている傾向だ。
それでも新時代のジーニアスが出てくることを期待したい。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集