✨「アナタとワタシがいた時間」-(後編)✨
前編からの続き。
私には、昔に関わった人や亡くなった人が
夢に来て色んな話をしてくれるという
ちょっと風変わりな特技がある。
確かにこれを聞くと余計「気味が悪い」だろう。
どうも私の母方の親戚は「夢見」の家系
(最近母から告白を受けた)らしく
最近になり、まるでダムが決壊したのではないかという程の勢いで、母方の親戚が
「その手の話」を普通にし始めたのだ。
『昨日、〇〇が(亡くなった人)が俺のところ来てな、「どこに行ったら良いか分からないんだよ」って言うんだけど、俺死んだこと無いから分かんないって言っておいた」
。。。なんて会話だ。
そして父方の祖父は
高野山で修行をした僧侶。
彼が「あちら側」に渡ってから
だいぶ月日が経つのであるが
未だ、近隣の多くの高齢者が祖父を覚えていて
いかに彼が凄い人物でパワーある人だったか
という話を聞かせてくれるのである。
ちなみに、この辺りは
「駅の前に犬が鎮座している都会」
であるにも関わらず、である。
目に見えない事を口にはせずとも
「そういう世界を認めてる人がいる」
という事だ。
ただ私は幼少の頃から色々発動していたのだろう。
「世の中では見えても口にしてはいけない事が人間界にはある」
という事を、幼少の頃から母に英才教育された。
お蔭で、
「目に見えないモノを、視界に入れない方法」
を自然に習得をしたのだ。
その名も
「秘儀、自動シャッター閉店ガラガラ」
である。
そして、とても有り難い事に
叔母も母も服飾系だった事もあって
幼少からオサレな洋服を纏わせて貰っていた。
幼少の頃から一見「オサレさん」だった。
お陰様でどうにか「気味が悪い感」は上手く今の今まで隠す事に成功してきた様に思う。
ところがだ。
これまでは隠し通せた事が
自分の中でさすがにもう無理になって来たのだ。
数年前に遡る。
命に関わる病が私に訪れた。
数回の手術の後、秘儀閉店ガラガラのカギが
どうも完全に壊れた様なのだ。
実は、その数年前に1番近い叔父と叔母が亡くなった。その頃から「そのカギ」が「おやおや?」だったのだが、とうとうその時が来てしまった。
本当に「しまった。。。」なのである。
どうにもこうにも、「この特技」とでも言うのか
「持って生まれた特性や使命」とでも言うのか
「これ」を認めざるを得なくなってしまった。
自分を偽って、ずっと目を背けていた事を。
まるで地球が地震を起こし、地殻変動が起きるように、ぎゅっぎゅっ、どかんと
「自分にとって正しい状態」
に持っていかれているような感覚。
そうは言っても、私は宜保愛子さんや江原啓之さんなどの様な霊能者さん程、霊能力がそこまで強いわけでもない。微妙なやつ。。
ちょびっと、感が良いだけの一般ピーポーなのである。
ただ、人と話していると、「自分では当たり前」と思っていた事が、時折、「世の中では当たり前ではない」という事が頻繁にあることに気づいてはいた。
また、人にとっては「フィクション?」「作り話」と思われることも、私にとっては本当に起こっている「ノンフィクション」なのだ。
夢見る夢子ちゃんでもないし、メンタルクライシスを起こしている訳でもない。
虚言でも無ければ、幻想でもないのだ。
紛れもない事実。
赤子の頃から、私は沢山の人や動物、
奇妙かもしれないが「目に見えない何か」に
良い扱いをされて生きてきた様に思う。
今考えると、「これも、これも、これもだし」と奇跡的な事が本当に多いのである。
助けられて来たのだ。
ある日、間近で幾つもの不思議な事柄を
見て来た18歳年下の夫(ある意味これも他人にとっては不思議だと思うが)が突然言った。
『「その人達」との関わりの「記憶」をたくさん保持していたり、夢に来たりするのには絶対意味がある。」と。
私と関わりを持った人。
中には一回しか会った事がなく
殆どの人達は、私の事を覚えていない人の方が多いだろう。
でも私は
「憶えている」。
(わかっている。私自身でも、ちびりそうな位奇妙である。が、怖いと言わないで------- 笑)
その感覚は、「映画の監督」が一番近いのかもしれない。
膨大記憶の糸を辿って
私はこれから
私の「ノンフィクション映画」を撮ろうと思う。
色々な主人公を書いて残して行くのだ。
一人一人、それぞれの私とのストーリーがあるから。
大好きな友達が亡くなる前にこんな言葉を私に遺してくれた。
「僕は死ぬのは恐くないけど、忘れられるのが怖い」
いつもこの言葉は今でも私のお守りの様に
脳裏に焼き付いたままだ。
彼の言葉が、いつだって私の生きる原動力だった。これからも。
「人は誰として忘れられて良いのではない。」
という事も教えてくれた。
その言葉が私に「書こう」と思わせてくれた一つでもある。
「死を覚悟して下さい」
そう医師からそう言われ、(奇跡が起き今ここにいるのだが。またそれは別の機会に)その「死のカウントダウン」が始まった時、余計強く思った。
「人は誰として存在を否定される事を望んでは無いはずだ」と。
これから、ここに私が経験した沢山の「あなた」との時間を書き記そうと思う。
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お読み頂きありがとうございました。
他人の「あなた」には興味は無いかもしれません。
でも他人の「あなた」を知る事で、「あなた」の生きる上でのヒントになれば良いなと思っています。
あなたも誰かの「あなた」です。
是非コーヒーで一服をする様に、疲れたら一服しに又お立ち寄り下さい。
By Ashida☆Nico
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