見出し画像

"僕はコーヒーが好き"or"コーヒーを好きな僕が好き"

久しぶりにきちんと風邪を引いた。
風邪を引くと弊害がたくさんあるけど、
特に、テレビの前に居るのは飽きる。

0秒おきにスマホを持ってるし
映画とかを見ようにも中々見切る力がないので、
一生、YouTubeばっかり見ていた。

で、結局、時間を使えたのが
結婚式のギフト選びになる。

あのシステムはすごい。

なぜ、僕がもらえるのか?

お祝いする側で、
あの1日を過ごせた事だけで得をしたのに
まだまだ得をさせてくれるのか?

(もう1週間が経つのに
まだ結婚式のことを言っているのか?と
文句をつけたいですよね)

こういうのは選ぶのに時間がかかるタイプ。

後々のことをすごく考える。

モノだった場合に
今後もしも使わなくなったとしたら
捨てることになるし、
その時にゲットした背景を思い出したら
捨てられなくなるだろうな。

と、思ってコーヒーメーカーは辞めた。

結構ずっと欲しいけど、
いざ買うタイミングとなったら
今はいいかってなるランキング2〜3位くらい。

(1位は自動掃除機)

で、結局、消耗品をと思って
包丁とお菓子とコーヒーパックにした。

そこそこにイキった決断だったと思う。

まぁ、自炊は24歳独身にしてはする方。
けど包丁は好んで買いに行ったりする程ではない
だからちょうど良かった。

けど、結局コーヒーは諦め切れてなくて、
ちょっと良さそうな豆(詳しくはない)から
選んでみた。

それを選んでる最中にハッと
今日のこのテーマが浮かんできた。

"僕はコーヒーが好き"
"コーヒーが好きな僕を好き"

いや、深いと我ながら思った。
(ちなみにコーヒーは深煎りが好き)

毎日飲むほどハマっている。
疲れたなぁという時に
コーヒーの匂いを嗅ぐと落ち着くから好き。
1人でカフェに行くのも好き。

このテーマに答えが出たところで
なんて事はないけど、
日常的にも結構あるんじゃないのか?と思った。

と、言いつついい例が思い浮かばないけど、

仕事だと、どうだろう?

"自分の力で誰かを喜ばせるのが好き"
"誰かを喜ばせている自分が好き"

どっちですか?

良し悪しではなく、
違いだと思うけど、

多くの人は後者じゃないですかね?

偽善的に言えば前者。
いや、本当にそう思っている人がいるのであれば
謝りたいけど、
人って100%誰かのために行動できるのか?

持論にすぎないけど、
自分が好き→結果的に誰かが笑顔
で、世は回っているのではないか?

これが正しいとすれば、

自分を好きになることに出会わないと
誰かを幸せにする事はできないのではないか?

結構いいことに気づいた気がする。

もちろん、持論だけどね。
今日は本を参考にしてないけどね。

明日には元気になっている予定だから、
Kindle片手にコーヒーを飲みに行く。
これしてる自分が好き。

いいなと思ったら応援しよう!