がおー
楽しいね〜は言っても楽しい!は言わない
じゃんけんでパーは出さない
宝物になりそうなものは粗末に扱う
人といるとき、表層だけで笑って奥の感情までは動いてない、だからふわふわしてるねって言われる。これうれしい。お互いのためのふわふわ。でも別に表層が嘘ってわけじゃないから。
怖がる前に道を握り潰すのが僕の自衛なのかもって気づいた(それ以上は自意識過剰で気持ち悪い気がしちゃってできない)
楽しいを人質に取られないように、手のひらを触られないように、大切なものを壊されないように、それでうっかり顔がひきつらないように、怖がってるのが知られないように
人からの好意に気づくのも怖い、返せないかもしれないから。その人に嫌われないためにが行動原理になったら縛られるのと同じだから。怖いと思ったら舐められて全部取られるから、一方的にもらい続けて自分が調子乗りたくないから、とか、いろいろ。だから鈍感を心がける、もしくは、ずっと誰とも仲良くなれないように、一貫してへらへら、人って正直誰でもいいらしいし、威嚇は弱い生き物しかしないことだし。
都会は人が多くて、ぼんやりしてるとすぐに場所を奪われる。みんな悪意を纏ってるように見える。かき消されないように自分も悪意でコーティングする。最悪。にも関わらず差し出されるティッシュ。隙を探されてるみたいで息苦しくて外に出られない日がある。不機嫌装うのも疲れるし。でも外には出ないといけないし。
そういうとき、体の露出しない場所に虎の絵を描く。すっごく目つき悪いやつ。
代わりに威嚇してもらう。がおー
友だちと服に絵描こーってなって、何描くか悩んでから
その虎を服に描いた
いつも見えないところに描いてるのに
威嚇は弱い生き物がすることなのに、
それを忘れるくらい、描いてるときが楽しかった
友だちたちが楽しいって言ってくれることが優しくて、優しさを受け取ることは返す覚悟があるってことで、だから差し出されたそれに触れていいのかって少し怖かったけど、自分からも楽しいって表明しないとだめな気がした。誰でもいいんでしょみたいな姿勢じゃ失礼だと思ったし自分を守るよりも嘘つきたくなかった。結果的に優しさとか怖さとか不安と向き合えた気がする
うれしいとかの前向きな感情はやわらかい感じがするから平仮名で書くが個人的ルールだけど、楽しいは漢字なの、ずっとなんでかなって考えてたけど、言ったからにはって責任みたいな苦しさもあるからかも、
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