死んだら思い出してあげない
さいわい、近しい人が死んだことはまだない。でも、消えたり、離れて行ったり、私が嫌いになったら「あの時好きだった人」は死んだと思うようにしてる。もうあの時のあの人には会えないんだから
そういう人のこと思い出すとき、湧いてくるのは寂しさよりも怒りに近い。
消えないように日々頑張ってる僕が馬鹿らしいじゃない。嫉妬だし、僕がそこまでの存在じゃなかったことに対する自分への怒りだし、やっぱり少し、寂しいのかも。
#忘れられない作家になりたい
ってタグが流れてきて、誰に忘れられるよりも私が一番、陰湿な目つきって絵を描いていた人のこと忘れたくないと思った。自分のことなくしたくない。二番目に私のこと忘れないのは私が作った物たちだろうなと思った。
宇佐見りんの「かか」を読んでから自分の信仰について考えてた。信仰を自分ごととして考えたことなかったから新鮮だった。私の信仰はきっと、生きていること(続いていること?)と、目
絵を描くのも、茶髪の子の人形を作るのも、茶髪の子がもとはぬいぐるみだったのも、全部自分が死なないため 自分より大切な物を作って、それのために生きてるってそれだけを考えるためだから
私が勝手な理由で死んだら、自分一人の可愛さのためにあの子から逃げたら、茶髪の子は怒るし、きっと私のこと思い出さなくなる。そうならないように茶髪の子は鏡みたいに反射した目で、僕をずっと、死なないように見張っている。
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