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「てるてる」。明るい日差しが差し込んでくるような店名だ。


合同会社 Briller(ブルイエ) 代表 浦野康輝氏

高校卒業し、外壁工職人になり、このちにフリーランスとして独立。人生を模索し、40歳で飲食店の会社を起業する。社名はフランス語で「輝く」という意味の「Briller」。店名は「やきとん てるてる」。


歌手の父と、浦野少年と。

父親は銀座のナイトクラブの歌手だったそう。

「バブルが弾けて銀座がダメになってしまった後も、個人で活動をして、TV出演やレコードのリリースもあったと聞きました。コンサートも開いています」。

バブル時代の銀座はさぞ煌びやかだったんだろうが、今の世代の人間にはイメージしにくい。

子どもたちに対する躾は厳しく、何かあると「鉄拳が飛んで来た」と笑う。ともだちまで父親をみると怖がっていたそうだ。

<お父様をみて、芸能界に入りたいとは思わなかったんですか?>そんな質問をぶつけると首を振る。

姉弟は3人。現在、「長女の姉は心理カウンセラー、弟はエンジニア系の会社を経営している」とのこと。3人とも芸能界とは距離がありそうだ。

「父も母も中卒だったから、子育てや教育と言っても知識がなかったんじゃないかな。勉強しろって言われたこともないし、大学に行けとも言われなかった。そういう意味では自由奔放だった気がします(笑)」。

「中学を卒業したら、働け」と、これは、お父様の言葉。

浦野少年は高校を卒業し、アメリカのハリウッドで皿洗い、帰国後ワイシャツ会社、骨董古道具屋、アパレル店アルバイトなどを経験し、20歳より外壁屋根壁の職人として勤め、その後、フリーになる。20代前半、飲食とはまだまだ接点がない。

何のために生きるのか。

「フリーになって10年。おなじことの繰り返しに、だんだん飽きてきた」と浦野さん。「まともな教育を受けていなかったから、人生を俯瞰できなかった」とも。

「オレは、何のために生まれてきたの?」。

職人を辞め、代行運転の仕事を始める。介護の資格を取り、二種免許も取った。

「介護タクシーをするためです。バカだけど、運転は得意。オレらなんて、そういう人種」と、なかば吐き捨てる。

実は、浦野さんは、18歳の時アメリカに渡っている。

「アメリカの映画が好きだったから『英語を勉強したい』と父親に言ったんです。そしたら航空券を買ってきて『アメリカに行ってこい』って」。

<お父さん、かっこいいですね>というと、苦笑い。

<アメリカはいかがでしたか?>

「父親の知り合いがいるハリウッドに行ったんですが、怖い思いを何度もしました。レストランで皿洗いをして、3ヵ月暮らしました。もう行きたくはないですが、アメリカに行ったことは意味があった。アメリカにはいろんな人種がいるでしょ。そりゃ、暗闇からのそっと現れて、「煙草や小銭をくれ」っていうような人もいた」。

「アメリカだけじゃなく、世界には食べることすらままならない人が少なくない。そういう人と比べ、日本に生まれただけでラッキー。なんだかんだといっても、ふつうに生きていけるでしょ」。

「日本に生まれただけでラッキー」と、浦野さんは何度かそのフレーズを口にした。

「日本は贅沢な国だから、私を含めてみんな、生ぬるいんです。そういうことが頭でわかっても、言葉になるまで何年もかかった」。

これは、フリーの職人を辞めてからの話。

「豊かなこの国でオレは何をすればいい」。心の均衡を失い、もがき苦しんだ。代行運転で、車を走らせながら浦野さんは何を思っていたんだろうか?

雌伏の時。

長い長いトンネルだった。「つぎに進む、きっかけになったのは、障がいをもっても強く生きている人をみたこと」。

もう少しつづける。

悩みつづけたことで、浦野さんの精神性がかたちづくられていく。

「人生に無駄はない。そういうことにも気づきました。燻っている時期に『クソみたいな人生だ』と何度も吐き捨てました。でも、じつはそれさえ無駄じゃなかったんです」。

「まるで、バネを縮めている時期だった」と表現する。

動くことで風景は動き出す。人生もおなじ。「だからね。言い訳をして、何もしない人には怒りを感じるし、逃げないで欲しいと思う」。立ち止まっているだけでは、景色もかわらないから。

浦野さんが動きだす。

ただし、もう39歳になっていた。

だが、霧は晴れていた。

「やきとんてるてる」誕生。

「何やるの?となった時に、少しでも楽しいことと思ったんです。単純ですよね。料理をつくるが好きだったし、だれかに食べてもらって「おいしい」って言ってくれたら嬉しいでしょ」。

料理はできた?と聞くと、「たいていなんでもできるんです。極めたことないんですが」と浦野さん。10ヵ月、修業したあと独立。たしかに、なんでもできる。

現在、浦野さんは飲食店など合計6店舗を経営している。

創業店は高田馬場にある「やきとんてるてる」。繁盛店だし、グルメサイトの評価も高い。<ロケーションは気にしましたか?>というと、「そういうんじゃなくって、家賃がむちゃくちゃ安かったんです」と一言。

「もう、お化け屋敷だった」と笑う。「だけど、職人をやっていたから、木造だし、手を入れたらどうなるかだいたいわかるんです。お金もないから、職人時代の知り合いにお願いして、私も久しぶりに職人のような仕事をして」。

1階が店舗。2階が住居。

「店をオープンして、これで生きている」と思ったそう。「当時の私には何もない、だからこそ自由だった」とも。

もう、モヤモヤはしてなかったんですか?

「そうですね。私自身が立っている位置を移すと、違った世界が広がったんです」。

何もなかった人が、もがき苦しみ、つかんだ今。

現在、浦野さんは、月に1回のペースで「こども食堂」をオープンしている。

「こどもたちの、何かね。かけらでもいいんで、影響を残すようなことができればいいなって。ただ、慈善活動じゃないです」。

「自己満足のため」と浦野さん。

本当にそうなんだろうか?

海外への出店も検討している。インタビューのなかで「陽明学」の話も出てきた。教育の話にもなり「今の教育の結果、日本人は勤勉さを失った」という。

違う言い方をすると、社会が均一化することで、ハングリー精神のない大人の世界ができ上がったということだろうか。「それじゃ世界と勝負にならない」と浦野さん。

哲学的なことじゃない。リアルな話。だから、海外に意識が向いているのかもしれない。

社名の「Briller」について聞くと、「フランス語で輝くという意味」という返答。店名は「てるてる」。社名もそうだが、明るい日差しが差し込んでくるような店名だ。

25/01/07
合同会社 Briller(ブルイエ) 代表 浦野康輝氏

飲食の戦士たちより

主な業態

やきとんてるてる

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