見出し画像

まるで、スタンド・バイ・ミー。


株式会社J-Connect 代表取締役社長 磯貝拓麻氏

東京都葛飾区出身。2013年中央工学校へ進学。同級生を誘い、居酒屋でアルバイトを開始。学生ながら店長を任されるなかで同級生と起業を志し、中退。株式会社J-Connectを設立する。2024年現在、北海道から福岡まで県をまたぎ、25店舗を展開している。


いい話のつづき。

同級生3人を誘って、創業。これが磯貝さんの始まり。設立は2015年。目標は100億円企業。まだまだ先の話だと思って聞いていたが、もうすでに20億円。加速すれば、あと数年でゴールテープを切るかもしれない。わくわくしながら、お話を聞かせていただいた。

磯貝さんが生まれたのは1994年。お父様は建築系の仕事をされている。

「姉が1人います。母は今も仕事をしていますが、人に好かれるタイプで、じつは母の知り合いが、今うちで働いてくださっています」。

母似だという磯貝さんも、周りの人に好かれるタイプ。同級生4人で創業して、10年近く経った今も全員一緒に仕事をしているのも、磯貝さんの人柄の表れに違いない。20億円企業の社長だが、謙虚で、話していて楽しい。

さて、その磯貝さんは小学生からサッカーを始め、中3まで続けている。区の選抜にも選ばれていて、強豪校のトライアルを受ける予定だったが、怪我をしてスポーツ推薦を諦めている。進んだのは、進学校。

「それから私は、建築設計を勉強するために中央工学校に進学します。彼女はアパレルのお店で就職。でも、半年で退職しました」。

<磯貝さんが?>

「いえ、彼女です。19歳の時に子どもを授かったんです」。

その時のお子さんは今、10歳。2人は結婚することになる。

「大きな反対はされなかったです」。

それ以来、いい話の続きを、2人でつむいでいくことになる。

起業と、プレッシャーと。

19歳、専門学校生。定職があるわけでもない。

<結婚生活は?>
気になって聞いてみた。

「最初はお金がないので、うちの実家で両親と同居です」。

<磯貝さんのご両親と一緒に?>

「ええ、だから、彼女は大変だったと思います。しかも、起業してからは、なかなか家にも帰れなかったもんですから」。

話を聞くと「なかなか」どころか、まったく帰れなかったらしい。

あらかじめ磯貝さんからいただいた自身のプロフィールによると、「中央工学校へ進学し建築設計を学びながら同級生を引き連れ居酒屋にアルバイトとして勤める。学生の傍ら前記の店舗にてバイトリーダーを経て、店長を任される中で同級生と起業を志し、中退を決断。株式会社J-Connectを設立する」とある。

思い切った選択だ。

「捨て身の覚悟です。仲間の1人は、親に勘当までされています。私が誘ったわけですから、もちろん、プレッシャーはハンパないです。それに、私には妻も、子もいましたから」。

「退路などなかった」と磯貝さんは笑う。

<1号店は運営を受託されたんですよね?>

「そうです。屋号はそのままでオペレーションを任せていただきました」。

経験といえば、バイトと、創業当初に手伝ってくれた料理人から教わっただけ。
「実質、経験者は1人もいなかった」と笑う。
ただし、そこから手探りの快進撃がスタートする。

家では、両親と妻と子どもが待つ。だが、帰れない。パパ以上にママが頑張ってくれた。奥様の応援がなければ、もちろん、今の磯貝さんも今の会社もない。当時の話をもう少し。

「とにかく、食べさせていかないといけない。でも、食べられればいいってわけじゃない。じつは、3人のうち2人は、私と一緒に大学まで辞めていますから」。

プレッシャーは、今だけの話ではない。家族はもちろん、彼らの将来に対しても重圧がのしかかる。

「でも、性格的にそういうプレッシャーを楽しむタイプなので。それに、みんな腹を決めていましたから」。

「結束」。そんな言葉が頭に浮かぶ。

「業務委託でスタートしたのは、40席程度の海鮮居酒屋です。ランチからスタートし、24時まで。利益は少し。とにかく、創業メンバーが4人ですから、それだけで人件費がかかる」。

同級生は20万円程度、磯貝さんは5万円だけ。
みんなで店に泊まり込んだ。どんな会話がなされていたんだろうか?
語っていたのは、野心か、望みか。その一方、5万円という現実はきつい。「嫁さんからのプレッシャーもきつかったですね(笑)」。

それは、そうだろう。

「でも、もうスタートしてしまいましたから」。

どうなっていくんだろう。

東京→千葉→静岡→埼玉、つぎは。

「創業時のメンバーをとにかく食べさせていかないといけません」。そのためには早く出店しないといけない。だから、磯貝さんは自身の報酬を5万円のみにした。ほかのメンバーに給与を支給し、残った分は貯蓄する。そして、10ヵ月後に新店をオープンしている。

「当時は店舗開発の知識もないし、経験もない。お金もありませんから、とにかく、初期投資が少なくて済む居抜きの物件をネットで探し回って」。

<ちょうどいい物件があったんですね?>。

「ええ、我孫子だったんですが」。

<我孫子と聞いて、あの我孫子?>と反芻した。「ええ」といって、笑う。

「創業店は大塚ですから、距離があります。行き来するとしたら大変です。ただ、うちには創業メンバーがいたので人手はあるし、当時は泊まり込みでしたから、二手に別れれば問題がありませんでした」と磯貝さんはこともなげにいう。

我孫子の店舗のスケールは40坪で80席。空中階。「当時は宴会需要を狙っていました。業態は総合居酒屋で客単価3500円。ただ、好調というわけではなく苦戦はしています。それでも、初期投資が安く、家賃も20万円程度だったので、創業の店と合わせて100万円くらいはキャッシュが残りました」。

ふんだんに資金があったわけではない。でも、未来へのプレッシャーか出店を急いだ。「3号店は、その2ヵ月後です」。東京、千葉、そして、3号店はなんと静岡。

「地方がいいぞって、そういう噂を鵜呑みにして(笑)」。距離はあったが、創業メンバーの誰かが行けばいい。

「静岡っていうとみんな驚かれるかもしれませんが、うちの戦略にはマッチしています。とにかく、初期投資が少なく、家賃も安いのでランニングコストも少なくて済む。それに実際、静岡に行ってみてびっくりするんです。さすが、新幹線が止まる駅があるだけあって、我孫子より人が多い!って」。

こちらは20坪、家賃20万円、450万円程度を売り上げた。さらに、春日部へ。わずか1年と少しで、4都道府県を制覇している。その後も、年間4~5店舗のペースでオープンを続ける。しかも、10店舗まで自己資金のみというから、それにも驚かされてしまった。

その話の続き。

「タイミングがよかった」と、磯貝さん。どういうことだろう?

「5店舗目は、新小岩でオープンするんですが、その際にモンテローザさんと知り合って、ちょうどモンテローザさんが撤退を始めるタイミングだったんです。それで、店舗開発の人と知り合って、撤退される物件を紹介してもらって」。

大手が撤退する店舗だったが、磯貝さんたちにすれば「宝の山」だったそう。

「さすが、大手の厨房設備です。居抜きで置いていってくださったので、大手の店のつくり方も学ぶことができました」。

すべて直営。自己資本のみ。これだけ聞くと、確実に出店を重ねていったようにも映るが、その一方で「2018年には、キャッシュが回らなくなりかけた」という。「はじめて、1500万円を借り入れた」とのこと。

スクラップアンドビルド。「だんだんと業績が右肩下がりになっていくなかで、オープンとクローズを続けて、純度が上がっていきます」。

コロナ禍では、地方に店があったことが幸いした。「比較的、規制も緩やかな北海道や広島でオープンし、その利益で、乗り切ることができました」。

札幌や広島に店舗が多いのはそのため。しかし、磯貝さんに距離という概念はないんだろうか。いとも簡単に距離のカベを超えていく。福岡市、北九州市、豊橋市、金沢市、新潟市、長岡市、春日部市、帯広市、浜松市、知立市と、大手チェーン店も、うなるような快挙だ。

コントロールしているのは、磯貝さんを中心にした4人の創業メンバーたち。舞台は違うが、まるで、「スタンド・バイ・ミー」。好奇心と、少しの野望を追いかけ、始めた冒険は、今に続いている。

「じつは今、食肉の加工もはじめました。もうすぐ、1.5トンの牛肉を出荷します」。磯貝さんすでに、次のフィールドに向かって冒険を開始している。

「お米、これもやりたいです。日本を守るっていうと、大げさに聞こえるかもしれませんが、日本人にとってお米は大事なものであり、エネルギー源だと思っています。だから、そのお米もやりたい。健康ももちろん大事。福岡に糖質の低いササニシキを育てている米農家の方がいらっしゃるんですが、その方から、教えてもらっている最中です」。

ひょっとしたら、とんでもない経営者にお会いしたのかもしれない。とにもかくにも、冒険はまだまだ続く。その続きの話をまたいつか伺いたいと思った。

25/02/10
株式会社J-Connect 代表取締役社長 磯貝拓麻氏

飲食の戦士たちより

主な業態

「魚々屋たかぎ」「せろり」「伸輔」「餃夢中」他

採用情報

J-Connectに興味がある、就職してみたい、という方は、以下のサイトを御覧ください!

飲食業界に興味がある、キャリアアップしたいという方

まずはカウンセラーに無料相談してみては?あなたの希望にしっかりと寄り添いますよ。

いいなと思ったら応援しよう!