iPhoneはオワコン
誰もが気づいているが誰も言わないことを書く。
iPhoneはオワコン。
というかスマホがオワコンである。
ではなぜ今だに誰もがスマホを求めるのか?
次のアイテムが出ないからだ。
では次のアイテムとは何か?
MRである。
MRとはVRの二段階上のITでありMRとVRの間にARがある。
ARは皆さんお馴染みのポケモンGOだ。
MRとはさらに現実世界と融合したミックスリアリティーの頭文字である。
写真では野暮ったいゴーグルを装着しているが、これはサングラスまたはメガネぐらい洗練されると思っていただきたい。
業界では次期スタンダードとされる「アップルグラス」公には「スマートグラス」と言われているものだ。
スマートグラスで世界中の人々の生活様式が変わる。
それはスマホ登場時のインパクトではない。
このスマートグラス。
実はジョブズが存命していたらとっくに世の中に登場しているはずである。
なぜならジョブズ存命時のAppleの製品開発サイクルが約2年だったからだ。
およそ2年でAppleは次々と新製品を世に出していた。
それも今のiPhoneのような「CPUが変わった」「解像度が上がった」「カメラが増えた」程度ではなく、カテゴリそのものが変わるサイクルだった。
今やすでにiPhoneはAndroidにシェアを抜かれているそうだ。
だがそんなことはAppleにとって全く問題ではない。
なぜならスマホが旧製品に感じてしまうぐらい先進的アイテムを出してしまえば、そんな競争など価値すら無くなってしまうからだ。
そしてそれをやってきたのがジョブズでありAppleだった。
だがiPhoneはジョブズ没から何も進化していない。
「いや?進化しているだろ?」
そう思う人はAppleを分かっていない。
CPUとか解像度が変わったなんて進化のうちに入らない。
今のAppleは1990年、ただMacというカテゴリをブラッシュアップしていただけの倒産直前のあの頃と何も変わっていない。
違うのはクックの手腕によりブランド化し、金持ちのステイタスシンボルになってしまったことだ。
とはいえAppleをブランド化した功績は大きい。
90年代のクソのようなアフターケアを知っていれば今のカスタマー対応は天と地ほどの差があるからだ。
さて話をスマートグラスに戻そう。
先の画像で少しイメージできたかもしれないが、何が違うって画面の制約が無くなること。この差は大きい。
これだけでもスマートグラスを買い求めるには十分である。
今のYouTubeはスマホひとつあれば投稿まで完結してしまう。
だが、もう少し高度な編集の場合、パソコンが必要になるだろう。
パソコンの大きな画面が必須だ。
人によってはモニターを2台以上携え、常に両画面を睨みながら作業を進める人もいるだろう。その方が速く効率がいいからだ。
ではスマートグラスだったら・・・
360度どの場所にもモニターが置ける。
しかもモニターは100インチどころではない。映画館ぐらいの大きさの巨大スクリーンも可能である。
これだけで十分購入価値がある。
電車の中で小さい画面を眺めてチマチマやる時代はもう終わりなのだ。
好きなだけ画面を展開して動画やメール、会社の作業も別ウインドウにして同時に行えるのだ。
そんなことはスマホじゃ不可能だ。
MRの真髄は地図アプリ
現実世界に重なって表示されるUI。
スマホでもかつて「セカイカメラ」というアプリがあって、その兆しを垣間見ることができた。
今でもポケモンGOで近い事が起こっているだろう。
だがそれとこれとは全く違うのである。
セカイカメラもポケモンGOもスマホの小さな画面を通してしか現実世界と重ねる事ができない。
スマートグラスなら手ぶらで見渡す限りどの角度でもUI表示が可能だ。
というかそのアプリの中に入っていると思って良い。そういう意味では現在のVRやメタバースと同じだが、VR・メタバースと大きな違いは、小さい画面に閉じ込められていた世界が現実空間に出現している点なのだ。
長々と書いてきたが、本来ならもうすでにスマートグラスの時代に入っているはずなのである。
クックがそれを止めてしまった。というか彼にはできないのだ。
同じくザッカーバーグも。
そして過去を見渡せば任天堂も。
全ての失敗はデザインを軽んじたこと
彼らに不足しているのは不屈無きデザインへの執着。
何の案内もなく電源を入れたその瞬間から使うことができる製品。
ユーザーに対する使い勝手の良いデザイン。
それこそがジョブズの真髄だったのである。
Macのコンセプトは普通の人が普通に使えるコンピューターだった。
普通の人とはプログラマーでもないコンピューターに何の知見もない人を指す。そういう人がすぐに使えるOS。それがMacOSだった。
※正確にはゼロックスからパクったものだが、それはWindowsも同じ。もっと言えばジョブズは丁寧に模倣したのに対しゲイツは妥協だらけの下手くそな模倣だった。
ここでいうデザインはスマートグラスのデバイスとしてのデザインも含まれる。今のオキュラスのような(それでもだいぶ洗練されてきたが)ゴツいゴーグルでは誰も使わないのである。
素晴らしいデザイン。
ジョブズが復帰直後に発表された初代iMacぐらいのインパクトが必要だ。
誰もが欲しくなるようなデザインが必要だ。
なにしろMacと無縁のWindowsユーザーまでもが購入したぐらいだ。
今のApple製品には残念ながらそれが無い。
(Apple Watch?あれほどクソダサいアイテムあるだろうか?アホの目印にしか見えないし絶対身につけたく無いアイテムだ。)
スタバでドヤるイキりアイテムと化したApple
iPhoneフィーバー冷めやらぬ時代。
数年前のある日、地元のスタバの窓際の席にズラーっと白く光るAppleロゴを見かけて「うわ〜!」ってなった事を覚えている。
それも写真の比では無い。
地元のスタバは窓際が正面を向くようなレイアウトなので本当にリンゴマークが整然と横並びして光っていたのである。
96年のMac冷遇時代から使い続けていた私からすれば「よく恥ずかしげもなくそれができるな?」であった。
今の人には信じられないだろうがMacを使っているとバカにされる時代があったのだ。
こんな恥ずかしげもなく堂々とスタバでドヤれる人間はニワカだ。
そう確信した。
真のマカーはもっと慎み深い
隠れキリシタンのような冷遇時代
本来のマカー(Macユーザー)ならWindowsの影に怯えながらMacをコソコソ使うのが定石なのだ。人によってはリンゴのロゴをカバーで隠すぐらいだ。もし周囲にMacと知れようものならバカにされ嘲笑の的となる。
そして心の中で「やっぱMacOSはいいよな・・・・Windowsのあのダサさったら無いよなw」とニヤつきながら独りごちるのが真のマカーである。
それが真っ昼間から堂々とスタバの窓際に燦然とリンゴマークを光らせて座っている。
正気の沙汰ではない。
時代は変わってしまったのだ。
Macは恥部どころか今やステイタスシンボル。
みんなに見せびらかすためのファッションアイテムに変貌していたのだ。
ここで本題に戻ろう。
いろいろと書いてきたがもはや今のiPhoneは、当時iPodを最初に使い始めた先進的な人の使うアイテムでは無い。
「iPhone = 一歩先行く時代の人」ではないのだ。
Phoneはすでに最新のガジェットではない。
カメラが複数搭載されているだの、解像度が上がっただの、これを進化と称して祭り上げる記事やニュースを見かけるが、アホを釣る撒き餌にしか見えない。今、これみよがしに背面の三つ目カメラを掲げてドヤっている奴。
もう止めた方がいい。アホ丸出しだから。
スマホに複数のカメラが必要?
映画が撮れるぐらいの高価なカメラが必要?
まったく的外れ。
つまりもうiPhoneはネタ切れなのである。
これ以上、新しいアイデアを提案できないのである。
CPUが上がった。
カメラを搭載した。
次は赤外線カメラだろうか?
毛穴が見える肌カメラか?
iPhoneは持ち運べるコンピューターだったはずだ。
Windowsノートでカメラが複数ついているものがあるだろうか?
というかパソコンより高価になっている。
必要ない機能を搭載して買わせようとしているのだ。
だがカメラが増えたから欲しいという人は稀有だ。
つまり今買っている人はAppleというブランドが欲しいだけなのだ。
背面に燦然と輝く三つ目のカメラ。これこそステイタスだ。
金持ちの証だ。
クックはそれを解っている。
ジョブズだったらあんな不細工な背面から突出するレンズを搭載しない。
なんでレンズが飛び出しているんだ?
バ●丸出しだ。
辛辣なことを書き連ねてしまったが、そろそろ気づいて欲しい。
今のiPhoneは使うに値しない。
Apple Watch?
論外だね。
とは言え私も去年M1MacBook Airを買ってしまった。
だが今だにスタバデビューできずにいる。