福田組はひょうきん族

「福田組」というのを最近テレビでよく聞くようになった。
福田組の福田とは福田雄一監督のこと。
「ヨシヒコ」が有名で私もよく見ていたし今でもニコニコなどでFFの村の件(くだり)は何度も見返してしまう。
あの回はゲーム業界でも語り草になっているのではなかろうか?

そんな「福田組」の特徴。
アドリブの小ボケというかギャグ。
特に佐藤二朗の結構長い(しつこい)アドリブが見どころ。
「今日俺!」の道場のお父さん役ではマンガ以上のギャグキャラとして本編以上に楽しめた。

ムロツヨシのメレブしかり。佐藤二朗の仏しかり。
脚本のようなしっかり作り込まれた空気ではなく、その場のライブ感というかリアルな空気が特徴であり他のドラマにない長所なのは誰もが知る所だろう。

結構長くなってしまったが、福田組の得意とするライブ感のあるアドリブギャグ。これ新しそうに見えて実は昭和世代にとって非常に古典的手法なのだ。

最もわかりやすい例が「オレたちひょうきん族」。
裏番組で怪物的視聴率を誇っていたTBS「8時だョ!全員集合」を潰すべくフジテレビが同時間帯にぶつけてきたキラータイトル。
それが「オレたちひょうきん族」だ。

ここで「8時だョ!(以降ドリフ)」と「ひょうきん族」の違いを述べると、それは、アドリブにある。
ドリフのコントは生放送ということもあり綿密な脚本と大仕掛によってしっかり作り込まれた「舞台演劇」であった。全てが計画的だった。
返って「ひょうきん族」はビートたけしや明石家さんまなど当時旬の芸人を次々と投入し、収録したVTRを放送していた。

しかし決定的な違いがあったのだ。

それはライブ感。
ひょうきん族は(ビートたけしが収録をよくサボることもあり)VTR収録でありながら、出来上がってきたビデオは現場感が半端ないものだった。

一つ例えると、ビートたけしと片岡鶴太郎が絡む場面があるのだが、途中から本編と関係なく喧嘩を始めてしまうのである。
最終的に鶴太郎が洗濯機に突っ込まれて呆然としている所で場面転換。
それもすぐ場面転換せず、10秒ぐらい間がある(あったとおもう)。
この間、鶴太郎が何か言って落しても、泣きそうな顔で何も言わなくても構わずそれを放送したのだ。
ビートたけしと鶴太郎が喧嘩するのは台本に無かったろうし、たけしがムシャクシャしていたのかもしれない。この頃のビートたけしは短気でケンカっ早く危なっかしい芸人だった。観ている人によっては引いてしまうだろうし、今だったらSNSで炎上しかねないだろう。
それをフジテレビは平気で流していたのである。

VTRでありながらヒヤヒヤドキドキしながら観ていた。
これが正直なところ「ひょうきん族」の面白さの「核」である。

そうなると視聴者にとってドリフが突然色あせてくる。
全然ライブ感が無い(実際は生放送でライブなのだが)。
決まりきった古臭いコメディー感が強くなってしまい、一気に飽きられていった。
その頃、ドリフには志村けんがいたのだが、事実上志村けんだけで持っていた状態(ドリフで唯一ひょうきん族と互角に渡りあえる芸人)であり、志村けん一人でひょうきん族に対抗するには限界があった。

ひょうきん族が始まってから間もなく8時だョ!~は終了した。

さてここで「福田組」の話に戻るが、今人気を得ている福田組のドラマのルーツはひょうきん族が延々と繰り返していたライブギャグ(アドリブ)なのである。
もっともひょうきん族との違いは役者が本気で喧嘩を始めてしまったり、泣き出したり、熱いおでんを無理やり食わされて吐き出す(鶴太郎の伝統芸)ような事はなく、おおむね脚本通り計画的に作り込まれてはいる。

キャストが芸人ではなく俳優が占めているのにも原因があるが、ひょうきん族ほどの過激なアドリブは今の時勢もあってできないのだろう。
かと言って、今、ひょうきん族を観て福田組のドラマより面白いかといえばそうでもないのである。

とにかくダラダラ延々と間延びしてテンポが悪い。
当時は今の編集マンほど冷酷にバッサリ切らないし、ネットも無いから、ゆるい編集による「垂れ流し」が許されたのだ。
当時のテレビとはそんなものである。

そういうわけで福田組のあのアドリブによるライブ感は、ひょうきん族がルーツということではある・・・が、ひょうきん族を知らない人には「新しい演出」「持ち味」ということになるのかな?

我々にとって「福田組」は懐かしくあり、新しい世代には新鮮に受け入れられるということだろう。

温故知新。

いいなと思ったら応援しよう!