夢とか希望とか未来とかはどこかに消えて
161.3
尖っていない鉛筆で書かれている。その数字は書いたというより、木の表面をえぐったと表現したほうがいいように思える。立ったままの姿勢で柱に刻んだからだろうか、その数字はとても不恰好だ。普段はそんなところに、そんな姿勢で文字を書くことなんてないのだから無理もない。
たくさんの数字がこの柱には刻まれている。
158.8
152.2
149.1
161.3と似たような数字がいくつも刻まれている。柱の下の方に目をやると、上の方の文字と比べてほんの少しだけ薄くなっている。
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あの数字を柱に刻み込んだとき、僕はどんな顔をしていたんだろう。小学6年生の頃で、もう十数年前のことだからなにも覚えていない。ただ、きっと自分の身長が伸びて、数字をどんどん柱の上の方に書けることが嬉しくて仕方なかったんだろう。
身長がどこかで止まることはわかっていたけれど、それでも自分の未来に根拠もなく希望を持っていた。きっと自分はすごい人間になると思っていた。すごい人間ってなんだよ。超能力かなんか使えるようになったり、アベンジャーズに入れる的なやつかな。
兎にも角にも、希望を抱き、これからの自分の未来は明るいものだと信じて疑わなかった。
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どうやら僕は死んだ魚のような目をしているらしい。十数年前はあんなに輝いてたのに今では目が笑ってないとかよく言われる始末だ。「こんなはずじゃなかったのにな…」と言いながら酒を飲むくだらない大人ができあがった。
でも最近は幼い日の輝きとか未来への希望なんてなくてもいいかなんて思うようになった。「未来に大きな希望なんてなくてもいいか。そういうの柄じゃないし。」と思っている自分がいる。
大志も夢も希望もクソ食らえだ。そんなあまりにも先の妄想にすがって生きるより、今日できることを積み上げる。今日できなかったことを明日できるようになる。そんな地味な戦いを続けていくだけだ。
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夢や希望を持って直走れたら、きっとあの頃の僕に戻れるだろう。でも、今僕の死んだ魚のような目にそんなキラキラした世界線は見えていない。漠然とした不安ばかりだ。それに毎日が地味だ。
僕の未来にはもう希望に満ち溢れてはいないかもしれない。それでも僕はこの目に見える世界で生きていくんだと思う。カッコつけたことを言ってるけど、それしかしらないし、それしかできないからだけだ。だからこの地味でクソみたいな現実と付き合っていこうと思っている。
そうやって毎日生きて、毎日自分と戦っているうちに、くすんだこの目にも鈍く光る希望みたいなものが見えると信じてる。あの頃の無垢な輝きを見ることがもうないんだろうけど、死んだ魚のような目でも見える光が見つけられたらラッキーぐらいでいいでしょって思ってる。
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