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エッジの効いた新しさは、クラシックの引用・対話から:市川崑

以前日経新聞「私の履歴書」で、草笛光子が、東宝映画横溝正史シリーズの思い出を書いていた。監督の市川崑は、モダンで革新的な映像・編集の人だが、「犬神家の一族」の冒頭の一族が集まるシーンで、金屏風のライトにダメ出しが出て撮影が延期になった話など紹介され、ああこれが映画の本物感を生むのだなと改めて思った。


市川はシリーズで、江戸文芸を盛んに引用する。「犬神家」では、歌舞伎「鬼一法源三略巻」の見立て菊人形に生首が。「悪魔の手毬唄」では、岸恵子演じる旅館の女将が、元は娘浄瑠璃の芸人で、映画「モロッコ」で失職する活弁を夫にしていた。草笛演じる、「獄門島」の女役者兼祈祷師のお小夜は、「娘道成寺」を十八番にしており、張り混ぜ屏風にある俳句の趣向による殺人「無残やな兜の下のきりぎりず 芭蕉」の伏線となっていた(実際の殺人は、二つに割れる張子の鐘がトリックに使われる)。


モダンと古典の「リミックス=翻案」という戦略が、「久里子亭(クリステイ)」を名乗る市川崑脚本チームの名にも象徴的に表れている。外国文学を下地に、古典の引用・再生をする方法は、決して単純な古典主義ではない。「君の名は。」みたいな、心の故郷的風景の「優しさ」を使ったノスタルジーこそ古典主義だが、さだまさしまで、それらは田舎臭く、引用の多い市川崑の戦略とは対照的なのだと思う。

個人的な趣味を言わせてもらえば、映画でも「古典」を引用・対話するハイセンスな映画を、大人の映画と呼ぶことにしている。

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