余命宣告 24歳、夏。 僕は余命3ヶ月と宣告された。 「あー、これは腫瘍の形が悪いから多分悪性だね。君の年齢だと3ヶ月だね。」 先生がサラッと言うもんだから、こんなにあっさりと宣告されるものなのかと驚いたことを覚えている。 人生の終わりを宣告された時どんな感情になるかって。 僕の場合はドラマでよくあるような、涙が止まらなくなったり、暴れたりなんてのは全くなく。先生から待合室で待つように言われた時に(その時は外来受診は終わりかけで誰もロビーにいなかった。)夕日がものすご
ちょっとスピリチュアルな話。 僕は昔から色々な声が聞こえたり、色々なものが見え感じるたちで。 感じることはいわゆる、幽霊的なものが多かった。 しかし体に取り入れるものを変えたことで、その声は 少しばかり変化していった。 幽霊的なものから、宇宙的なもの神的なものへと。 昨晩はすごく自分の中でもマインドが上昇してたので宇宙と一つになる感覚になり、宇宙からメッセージをいただく。頭の中にスーーーっと入ってくるイメージ。 それがこちら。 「言葉」「血筋」「絆」 これらは目に
自分と他人の境界線なんて曖昧で曖昧で 混ぜてしまおうとしても無理な話 写し鏡のように どちらが正解で不正解なのか 分かるわけでもなく笑いあえるし泣きあえる だから混ざり合わなくて良いと思う だって水平線はこんなにも美しいのだから
先日久しぶりに外食に出かけた。 いつも家ではナイフなんて使わないもんだから ナイフとフォーク、右手と左手どっちだったけなんて考えたり。 美味しいご飯の海を泳いでいると ふと後ろの島から男性2人の世間話が耳に入った。 「はー、結婚ってやっぱり牢獄だね。」 価値観は人ぞれぞれ、その言葉に対して 「はー、違うだろ」なんてな感じで 男どもの島に上陸するわけでもなく 僕はふと、付け合わせのブロッコリーを切っているナイフとフォークを止めて考える。 「人はなぜ結婚するのだろうか」
僕は遺影写真家としても活動している。 残された人たちの未来のために。 剣道の師範で優しさの中に厳しさがあり カラオケの先生でユーモラスな性格なじいちゃんが好きだった。 いわゆるじいちゃん子だった僕。 剣道を始めたのも、音楽を好きになったのも全部じいちゃんの影響。 そんなじいちゃんが死んだ。 亡くなる直前の何気ない日常(確か鼻毛を抜いている瞬間だったと思う)を笑いながら撮った写真が遺影になった。僕の母が遺影を残せたことにすごく喜んでくれて「ありがとね」という言葉に僕もすごく
妻に一つだけ内緒にしていることがる。 それは僕が「怪談」が好きだということ。 妻は僕のやることに関しては全くノータッチなのだが 唯一、僕が怪談本を読んだり怪談話をYouTube等で見聞きすることに少し怪訝な顔をする。とはいっても妻自身「怪談」を批判しているわけではなく、怪談を聞いている僕を心配しているのだ。 この記事を読んでくださっているということは、 この手の話は大丈夫だという前提で話すのだが僕は子どもの頃から見えるというか、感じるのだ。あの存在を。 子どもの頃はもちろ
あなたの半径45センチにはどんな人がいるか 思い浮かべてみてください? 恋人、妻、夫、親、子ども、親友 自分を含めた半径45センチを今一度見つめることが幸福に繋がる。 半径45センチ以内に入ることを許した関係にこそ人生の幸福は詰まっている。 僕が考える「半径45センチ人生幸福論」は そんな話。 半径45センチの中の幸福度 「パーソナルスペース」 この言葉、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか? パーソナルスペースとは「他人に近づかれると不快に感じてしまう空間」
僕の妻はいつも機嫌がいい。 もちろん人間だから笑ってる時も怒ってる時も泣いてる時もある。 しかし、どんなときでも機嫌がいい。 妻が機嫌がいいから僕も機嫌が良くなる。 子ども達ももちろん。 僕は気になった。 なぜ妻はいつも機嫌がいいのか。 そして妻に聞いてみた。 そこには人生を楽しくするとんでもない最強マインドがあった。 これは僕が妻から学んだ「人生を楽しくする4つの最強マインド」を紹介する話。 1 . 出来ないことを人のせいにしない。 出来たことや嬉しかっことは家族や
僕は中学校の時、すごく人目を気にしていた。 気にしすぎて苦しくなって、学校に行かなくなった。 この頃から本が好きになって、映画が好きになって 自分で拙い文章で物語を作り出した。 どこかで見て聞いた言葉の羅列かもしれない。 どこかで聞いた言葉かもしれない。 それでも自分で世界を作ってる感じがした。 そして書き上げた小説を当時の担任の先生に 見せる機会があり、先生が 「これを文化祭の劇の原作にしないか」と 僕は嬉しかった。 文化祭の最後に僕は舞台に呼ばれて 原作者として紹
1日1日感じたことを忘れないように、思いのままに綴る備忘録。 今日は僕が兄のように慕っていた方が亡くなって3年の命日。 前の日には元気だった人が次の日の朝には亡くなっているという。 僕も含め、1秒後には死んでいるかもしれない。 だからこそ生きている時の1秒1秒の選択はすごく 大事だなと人生を歩めば歩むほど感じる。 今日はBとDの間の話。 生まれて(BIRTH)から死ぬまで(DEATH)の間に何を選択(CHOICE)したかで運命が決まっていく。 人生選択の連続だ。とは本当
僕はほぼ三つ子の三姉妹の父。 ほぼ三つ子? なんだ? そうですよね。 説明しますと 長女が3月に生まれ、初めての子育てを楽しみながら生活する最中、 長女が3ヶ月ごろに妻が妊娠。 年子かー。とワクワクしながら検査に行くと なんとお腹の子どもたちが「双子」だと発覚。 僕らは一気に3人の親に。 ほぼ三つ子と2人の新米パパママの5人家族の誕生である。 僕は大学が映画専攻の学校であったためカメラには興味はあったが 静止画と動画の感覚の違いでスチルカメラからは遠ざかっていた。
◾️はじめに 僕は写真スタジオの店主。 スタジオを作って7年ほど経つがありがたいことに繁忙期は予約困難に。 そして僕も中年になり、周りのカメラマンが段々と 若い世代になっていく中で 「どうやってスタジオ経営してるのか?」 「大事にしていることは何なのか?」 などなど色々な相談を受け始めるようになりました。 自分の言語化、整理のためにもnoteに残してみようと思い 今回記事にさせていただくことに。 今回は写真の技術というよりも映像制作会社や他会社の役員などをやらせ