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サッカーが出来なかった私達へ。




こんにちは。

井上 萌です。

このnoteを開いてくださり、

ありがとうございます。


私が何をしていて、どのような選手なのかは、

過去のnoteをみてくれると有難いです。


今回は、私がサッカーを続けてきた中で、

良い意味でも、悪い意味でも思い出のある怪我についてです。



これは、高校1年生の冬から大学3年生までの約5年間、

5回の疲労骨折、

肉離れ、

足底筋膜炎、

グロインペイン、

様々なケガを繰り返していた私が、

昨年度初めて、怪我をせず

1年間通してピッチに立ち続けたお話しです。


私の想い。


なんだ、そんなことかよ。
と思う人もいるかもしれません。

しかし、スポーツを続けるうえで
怪我して、選手生命を絶たれる人もいます。

怪我をすれば、
選手は狂うように頭を抱えます。

もちろんその時は、
ポジティブに考えていきますが、
毎日、そのように考えるのは難しいものです。

練習離脱を余儀なくされ、
チームメイトの練習する姿を観ると、
そばにある、たった一本の白いタッチラインが

大きな壁に感じ、
1本の白線が
まるで、私とチームを切り離すように、
感じられてしまいます。

私は、怪我をしては
復帰をして、

また怪我をする。
これを約5年間、繰り返しました。

だから、
「萌っていつも怪我してるよね。」

「今度はどこ怪我したの?」

「何回目?」

「怪我多いよね」

「お、怪我してないんだ、珍しい」

たくさんのお言葉が、

だんだんとわたしの作り笑いを濁し、
涙を流す理由にもなっていきました。

「どうして繰り返しちゃうんだろう。」

ただ、サッカーがしたいだけなのに。
なんで、こうなっちゃうかな。


そんな思いで過ごした5年間。

もう、こんな思いは絶対にしたくない。
これが、心の根底にあるのです。

だから私には、「そんなことか。」
とは思えない。まだたった1年間だけど、

離脱せずにプレー出来たことが、
何よりも嬉しくて、大きな自信へと変わり、
自身のサッカー人生を

さらに、好きにさせるのです。

怪我に悩まされているあなたへ。

このnoteを書いていて、
私はとても苦しいです。

それは、事実を掘り返すことで、
嫌な思いでも再認識せざるを得ないからです。

あのとき、もっと早く知っていたら、
こうしていれば。

たらればは、私の脳内を縛り付けて、
また、心を真っ黒くしてしまいます。

できれば、思い出したくないです。
というか書いてて辛い。

でも、今、過去の私よりも
もっと苦しい人がいるかもしれない。

これが、手に取ってくれた人の

ヒントや、きっかけになったら良いのかなと思い、書いていきます。

引き続き読んでくれたら、嬉しいです。



スポーツに携わる方々へ。

共に刺激をし、スポーツ界を、サッカー界を
豊かにしていきたいです。

これが、私に出来ることと
それに伴う想いです。


きっかけは、1回の”肉離れ”だった



遡ること、5年前。高校1年生のとき。

それまではサッカー人生において、全治3ヶ月を超えるような怪我に

見舞われることなくプレーし続けていた。

当時の高校サッカーとは、クラブチームと異なり、

朝練習、昼休みの自主練習、放課後の練習は3時間超え、

春休みになれば、練習試合40分×3本の5連戦など

よく分からない日程でサッカーをしていた。

高校女子サッカーの日程は凄まじく、

インターハイ、選手権関東予選、本戦含めて

間なしの連戦で戦う日程が組まれているため、

それらに対応すべく(?)このような日程調整がされていた

のかもしれない。

高校1年生のとき、選手権大会を優勝した。

初優勝を掲げた。

しかし、1年生で優勝を経験することは、

残り2年間、自身の高校の戦績を、
それ以上良いものへ、

常連校として、
チャンピオンでい続けなければならない

というプレッシャーに駆られる。

内心、ものすごく焦っていた。

主力で戦った3年生はごっそり抜けて、

ピッチ上に立っていた選手はたった3人だったから。

「やらないと。」

ただこのひと言に尽きた。

2016年、選手権決勝。



選手権が終わり、その1週間後には新人戦大会が始まった。

「選手権優勝校」

プレッシャーもあったが、優勝はした。納得のいく内容にはならなかった

ような気がする。

でも、チームはなぜか安堵したようで、

新人戦後の練習があまりにも緩かった。
みんな気が抜けたのだと思う。

これは典型的なパターンであり、

OFFというものが存在しないからこそ、
現れた状態だったと言える。

「集中しないと怪我をするぞ」

まさにこの言葉の通りで、集中できないのなら

やらなければ良かったのだ。


極寒の中、ひたすら立ち続ける。





新人戦のシーズンは1月、2月頃だ。

学校が終わって練習場に向かう。

もちろん、ナイター練習。

パスをしても一向に身体の温まらない日。

「なんだ。この雰囲気。」

監督が来て、練習が止まった。

これ以降の話は、
このことがよかったか、
悪かったかは個人の感想にお任せいたします。

事実だけを書かせてください。

グラウンドの中で40分くらい、立ち続けて
話を聞いた。選手権を経ての上手くいかなかった新人戦、なのに緩い練習、思うことはたくさんあったのでしょう。

ひたすら手を後ろに組んで、話を聞く。

「並べ。」

これは、走りの合図。40分間、極寒の中立ち続けてからグラウンドの周走が始まった。



案の定、最後の周で、腿の裏から鈍い音がした。

「あ、終わった。」

これが負の連鎖を招いた。



高校生で3回の疲労骨折


肉離れをし、痛みが消えたため、次に迫る試合に向けて復帰をした。4週間程度で復帰をした。

最初は「半分だけ出よう」と言われていた試合も、いつの間にか、全部試合に出ていて、

ああ、私はもう怪我治ったんだ。
と勘違いをした。

だから、根本的に”肉離れ”を理解しておらず、
その3週間後には逆足、シンスプリントの疑いが持たれた。


サッカーをやりながらでも治るよ、だとか

とりあえず、2週間は休んで運動を再開しましょう、だとか

言われたことを全部やって、

それでも治らないから、

病院を変えて、

診断されたのは「右脛骨疲労骨折」。

初めて長期離脱をした。


そこからはイタチごっこ。

治っては、逆足のシンスプリントになって、

疲労骨折を起こして、

治っては、次、第3中足骨を疲労骨折した。


もしも、肉離れに対する知識を持っていたら。

もしも、疲労骨折に対する他の考え方があったら。

ここで、怪我を終わらせられていたかもしれません。

だけど、当時は何も知らなかった。

もしも、この概念に出逢っていたら。

もう少し、未来が変わっていたのかもしれません。


他のやつは怪我をしていない



研究室に呼ばれて、

「どうしてそんなに怪我を繰り返すのか?」

3回目のとき、そう尋られた。

病院の先生には

「サッカーしすぎです。そんなに試合して意味あるの?」

と、診察を受けるたび、
毎回お叱りをいただいていたので、

恐る恐る、
「練習と試合の数が多いからと言われています。」

と伝えたら、

「でも、他のやつは怪我してないぞ?」

と返された。

そう言われたら、
なんと言えばいいか分からなかった。




復帰と怪我を繰り返すと、コンディションが維持できない。

上がらないまま、試合に出る。

ただ、勝たないと。もう一度全国制覇しないと。

キャプテンとして、ピッチに立たないと。

プレッシャーと自分の気持ちが混ざり合って、
どんどん潰れてしまった。

怪我を繰り返せば、世代別代表に選出されたいなど、そういった目標に

そっと蓋を閉じてしまった。
もう、ただサッカーができるだけで幸せだから。もう、自分が目指せる場所じゃないとか。

怪我をする自分に価値がなくなってしまっていて、

『あの子の高校一年生だけはすごかった。』

と、なるのが怖かった。




強度や頻度の問題なのか?


一理あります。しかし、スポーツとは、
本来、人間の活動を超えた領域
のものなのだと考えています。

人間は、もともと、
週に5・6回もボールを蹴らない。

人からボールを奪おうとしない。

スパイクなんて不安定な靴は履かない。

頭で硬いボールを叩きつけない。

サッカーを当たり前のようにしてきたから
こそ、意外と気付けない面もあるのです。




そして、高校サッカーは終わり、私は大学へと進学した。
練習は1時間半で終わり、週に1回の公式戦。

確実に頻度は減った。

4月からは順調にプレーできていたが、

12月には再度、脛骨を疲労骨折してしまった。

4回目の疲労骨折と同時に、強度や頻度だけが問題ではないと自覚した。




自らを知るものは明なり。


早稲田の先輩が”栄養”について、
Twitterで、アウトプットを始めた。

その内容が、
スポーツ栄養学で学んでいたものと
少々異なった。

あれ?もしかしたら、これって
私の悩みが解決されるかもしれない。
そう思った。

そうやって広がった縁があった。

初めて見たtweet。ここからどんどん気になってスクロールした。



大学2年の秋口に、
覚悟の人體セミナーが開催された。


そのセミナーでこの人から、話を聞きたい。

サッカー選手として、
もう一度、上を目指したい。

その想いに溢れて、すかさず連絡をした。

仙川へ招待していただき、

續池 均さんに出会った。

約10時間に及ぶ貴重なお話をしていただいた。

ここでは、ただ栄養の話を聞いただけではない。

もしも、栄養についての話だけなら、

このセミナーに行く必要なない。

本なり、論文なり調べ尽くして
栄養に関する知識を獲得するので良い。

話を聞くというのは、エネルギーをもらうこと。
そして、意志が固まること。

私の覚悟とは、もう一度再生したいという氣持ちだった。

もう2度と怪我で苦しみたくない。

覚悟とは、
己を磨きかけ、内側との話がついたものだけが持つことのできるものだ。

だから、覚悟を持つには、己を知らなければならないのだ。



サッカー選手に必要なこと


とはいえ、
私がサッカー選手として再生するには、

たくさんの課題があった。

自分自身を見つめ直し、それに向かって努力を重ねる。

その中で、私には、絶対的に改善すべきとされてきたものがある。

それが以下のことである。



栄養改善

一般的に考えられる栄養学とは、
少し異なる部分があるかもしれない。


しかし、それらがマイノリティだの

異端的だの、

必要ないだの。

でもさ、まずは、見てみようよ。

「これもあるね。」

それで良いじゃない。

私の栄養の基盤は、
オーソモレキュラー栄養療法です。

またの名を
分子栄養学とも言います。


そして、

・砂糖をはじめとする精製糖質を減らす
・人工甘味料は絶対に摂らない
・お肉だけでなくお魚からもタンパク質を
・加工食品を避ける
・アルコールは飲まない

食事に対する見直しを始めました。

私はこれらの改善を、

ひき算と呼んでいます。

トレーニングも同様で、

体幹や高重量による筋トレ、これらを見直し
止める選択肢を取りました。

自分自身の體を良くするには

新しく何かを始めるのも良いですが、

今、既に行っている
何かをを止めるといった

ひき算から考えてみるのは

いかがでしょうか。



我々サッカー選手に必要な栄養素は、計り知れないほど多い



糖質・脂質・タンパク質・ビタミン・ミネラル等は、

私たちが生活を送る上で、

非常に大切な役割を担っています。

前述したように、サッカーは日常生活の範疇を越える領域のため、
消費量は人並みではありません。

そのため、摂取量は一般人を上回ってもおかしくないと考えてみます。


私は先に載せたURLに書いてあることを実践したことで、

大学4年時には、1度も怪我をしなかった。

という結果が出ました。

また、私の大学4年時は、
コロナによって延期されていた前期の試合が、
リーグ中断期の真夏や、平日のナイターゲームへと変更になり、

異様なスケジュールを促したのです。

確実に怪我をするリスクが高まりました。

あんなに怪我をしていた頃はCBだったけど、

大学4年時にはボランチへ。

運動量も変わったはず。


月に10試合。土日遠征、火曜日公式戦、
土日遠征、水曜日公式戦。
これを8.9と2ヶ月繰り返す。

全て出場しながらも、身体を壊さなかった。

そしてパフォーマンスを上げていった。

これは積み重ねた栄養、血液への着眼が、

疲労回復を促進させ、
今までは離脱していたサッカーを
プレーさせたのだと思います。



セミナー直後のご飯


セラピストさんにアドバイスを貰い、
彩りが少しずつ変わっていきました。




質的栄養失調と筋肉の質


過去には肉離れや、疲労骨折。
そのほかにグロインペインも患ってきました。

もしも、

筋肉の硬さが骨への栄養を妨げていたら?

筋肉が硬すぎることで、血管を圧迫し、酸素を供給できない状態だったら?

こう考えたとき、

今の私には何が必要か、一目瞭然でした。

筋肉の弛緩への外的アプローチ、
内的アプローチを同時にかけ続けることです。

だから、外的アプローチとして、
筋肉を弛緩させること。

内的アプローチとして、
栄養素を充分に吸収させること。

これらを考えなければなりません。

なぜなら、
両方のアプローチがなければ、
効果は期待されないから。

いくら筋肉を緩めても、食べたものに栄養がなければ筋肉へ栄養が回らず、改善されません。栄養を改善し、筋肉をアプローチすることが、弛緩へと繋がり、質の良い筋肉に変わっていくのです。


筋肉チューニング

私は大学生の頃から、MTRメソッドさんにサポートをしていただき、

セラピストさんによる筋肉チューニングを受けてきました。

本日に至るまで、約100時間をもの時間を費やしていただきました。

「サッカーでもう一度上を目指したい」

この想いを汲み取ってくださり、全身全霊をかけてもらっている。

私はそのことを絶対に忘れてはいけない。

だから、こうやって経験を綴るし、世の中にこの方法論を広めていきたい。


まだまだ、書かなければならないことがあります。具体性が足りていません。

しっかりお伝えしたいので、次回以降は

栄養素、
食事で気をつけていること、
筋肉をどうやって緩めるのか、
運動について、

書きたいと思います。


これら全てを実践し、
怪我をしなくなったと言えるようになりました。

そして、怪我をしなくなっただけでなく、

パフォーマンスが上がった実感があります。

マフェトン理論を通して走れるようになったことや、
そこから体脂肪が落ちたこと、

シーズンを通して他者からの評価があがったこと

その辺りも書き起こしていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。



















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