次元の高いサッカーはあくどいビジネスに似ている / 「嫌われるムーブメントだ」と分かっていながらその言動をしてしまう心理状態の変化
2023年6月15日(木)。21時37分。
こんにちは。井上和音です。
サッカー日本代表の試合があっていました。会場はTOYOTAスタジアム。vs.エルサルバドル。キリンチャレンジカップです。結果としては6-0の完勝。前半だけで相手は一人退場。4-0。途中で北朝鮮からミサイルが発射されたとの速報が流れましたが、夜にミサイル発射が行われるのは珍しいですね。ところで、ミサイル発射した場合、午前中ならばNHKではすぐにニューススタジオに切り替わるのですが、今日は夜だったからなのか特に切り替わることもありませんでした。もしかして北朝鮮が弾道ミサイルを発射するときには前兆があって、NHKもその前兆の情報を手に入れていて報道していたりするのでしょうか。
多分していないと思いますよ。
サッカー日本代表の話に戻しますと、三笘選手は特に活躍することもありませんでしたね。なんとなくですけれども、サッカーというスポーツはレベルが低いか高いかで求められる性質、能力が変わっていく難しいスポーツなのかなと思いました。今日のように強化試合で相手もエルサルバドルで、レッドカードで前半の早いうちに退場して。そういう試合ではほとんど日本代表は自陣でボールを回すことができ、考えるスピードも穏やかで崩し切ってゴールを狙うことが出来ます。少し前に言われた「日本らしいサッカー」というやつです。アジア予選ではそういう「日本らしいサッカー」が通用して奇跡的にワールドカップ本大会へと勝ち進み続けることが出来ましたが、ワールドカップ本大会では通用することがありませんでした。要因としてはサッカーのレベルが変わると求められる仕事が異なるというスポーツではあまり見られない変化をサッカーというスポーツは要求してきます。
サッカーのレベルが高くなると、速い、強い、上手い、判断が早い、予測能力。これらが大事になってきます。
一方で、サッカーのレベルが低い場合には、正確性、創造性、スプリント能力、などが求めれてきます。スプリント能力はサッカーのレベルが高いところではと思われがちですが、とにかく闇雲にスプリント回数を上げるよりも、ここぞというところでダッシュが出来るかどうか。ここぞというところまで力をため続ける、我慢し続けることができるかどうか。実は頭を使わずに頑張っている人ほど、大事な試合ではあまり役に立たないことが多いです。メッシやクリスティアーノ・ロナウドがなぜ大事な試合で得点することが出来ていたのか。それらは彼らがほとんど走ることなく前線でただ待っていて、ここぞというときにギアを上げて、強烈なシュートをゴールの枠内へと飛ばすからです。一方でこのプレースタイルはチームメイトからは不評を買います。走らない人がいる分、余計に走らなければいけない選手が出てくるからです。そして目立つところだけ走らない選手が活躍する。サッカーとはある意味でビジネスのような、しっかり見ると非常に嫌なスポーツではありますが、それがサッカーの現実であり、サッカーワールドカップカタール大会でもアルゼンチンが優勝してしまい、メッシのプレースタイルは正しかったと結果で証明する形になってしまいました。
個人的にはメッシやクリスティアーノ・ロナウドのプレイスタイルは嫌いです。
しかし、闇雲に走り回るスタイルも嫌いと言うよりかは結果が出ません。
だから、今回のエルサルバドル戦で三笘選手が活躍できなかったのも理解できます。活躍する必要性が無かったからです。サッカーワールドカップカタール大会の時に「戦術三笘」と言われるくらいに皆が三笘選手に注目したのは、サッカーのレベルが最高次元になったときに個で打開できる選手が三笘選手しかいなかったと誰もが認める状況だったからです。サッカーワールドカップカタール大会で「日本らしいサッカー」を貫いていたら確実にグループリーグ敗退だったでしょう。一点が遠く、試合終了という日本らしいサッカーで終わることになっていたと思っています。
サッカーの話が長くなりました。他の話もしましょう。
仕事の話?
したくないですね。なんとなく自分は嫌われているなあと思っていますが、嫌われていると思うというよりかは嫌われるであろうムーブメントをやってしまっている自覚があるのですね。確実に嫌われています。私だったら私のムーブメントを嫌います。嫌々ながらやっています。「これを聞いたら、これを話したら、この行動を取ったら嫌われるだろうな」と思いながらやってしまいます。何故だい。何故嫌われると分かっているのにそういう言動に出てしまうのかい。それは私が障害者で疲れやすいのと、やっぱり自分が大好きなのだろうなと心の底では思っているだろうからです。あと、何かの一員になることが苦手なようです。パートタイマーだからサービス残業も出来ませんし。やろうと思えば出来るみたいですけれども法に触れるのでやりたくないし、そもそもがやりたくはありません。やっている人がいますけれども、他人がやっているから自分もしてもいいというのは論理が通りません。やってはいけないことはやってはいけないのだと思います。
クズな方向でさえ。
終業時間になると仕事を終わらせることなくほっぽり出して帰っていきます。そんな人間を誰が好むかという話です。
しかしながら、こうやってサービス残業とかもしたほうが職場の雰囲気も良くなるのではないかと思い始めたこの心理も、そもそもの心理状態も変化してきたと言えてしまうでしょう。
他人に気を遣うようになりました。
この心理状態が一番変化として大きいです。
向精神薬を減らして心に余裕が生まれてきてしまったのです。しまったのです、ではなくて、やってしまった感ではなくて、良い方向に自分の心理状態が向かっていると思ったほうがいいのかもしれません。
しかし、他人に気を遣うようになると、他人に気を遣えないときに自分に対して罪悪感を持つようになります。先ほども書いた通り「これは嫌われるムーブメントだな」と思うようになってしまい、自分と他人は別物という天上天下唯我独尊のような心理状態にはならなくなりました。
自分と組織とはほぼ関係が無いと分かっていながら組織のために身を尽くさなければいけないという心理。矛盾しているので余計に「こういう場合どういうムーブメントを取ったら良いのだろうか」と悩んでしまいます。結果としてどんなムーブメントを取ったところで嫌われたと確信することには変わりはないのですけれども。
サッカーの話と仕事における心理状態の変化の話しかしていませんが、もうここら辺で幕引きといたしましょう。WISE テストの結果でも、自分には得意不得意とがあって、単純作業を繰り返していたら人よりも疲れが出やすいという客観的なデータも出ましたから。いや、だから余計にどういうムーブメントを取ればいいのかと毎時間毎時間悩んでしまうのですが。淡々と堅実に。コツコツと毎日を。
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