浅羽通明「大学で何を学ぶか」 非常時に備えるために
この話は、結局、「教養の効用」ということだと思う。
浅羽通明によると、大学の価値とは、教養の価値とは、非常時における判断基準だという。
強制収容所体験
強制収容所内で生存率が高かったのは、身体的な強者ではなかった。
文学や哲学や宗教といった教養を持つ人が生き残った。
特攻出撃前夜
1945年4月、戦艦<大和>が、沖縄に海上特攻をしかける無謀な出撃の前夜、水兵たちによる反乱が起こりかけた。そこで、臼淵磐という士官が、「日本が一度負けて、再出発するために、自分たちは死ぬ」という理屈で、兵たちを説得した。
軍人たちは、戦闘の勝敗しか考えていなかったが、臼淵大尉は、未来社会の視点で、自分たちの戦闘の価値を再定義したのだ。
臼淵大尉は、文学や哲学に造詣の深い人だったから、他の軍人とは違う発想ができた。
老いて死んでいくだけの終末期患者のケア
浅羽通明が老人介護施設で働く女性から相談を受けた事例。
「自分がやっている仕事は、もうすぐ死ぬ人々の生活を少しだけ改善するだけの仕事だ。一体何の意味があるのか?どうせ死ぬんだから、無駄じゃないか」
浅羽の回答
「助けてやっても、なんら見返りがない弱者でも見捨てず、最後まで世話をするというのは、全員に生存権を保証するということであり、現代社会の矜持だ。きみの仕事は、その矜持を維持するための重大な仕事なんだ」
浅羽が援用したのは、儒教の発想だ。人間の行動を「儀礼」と考えると、損得では評価しようがない、老人介護にも意味を見出すことができる。
健康、安全、希望、衣食住が失われ、日常生活が崩壊するときに、行動を決めるには、非日常的な超越的視点が必要なのだ。
日常生活では教養など無価値なので、非常時に備えるつもりがないんだったら、大学など無用ということになる
非常時は来るのか?
もちろん、来る。
自分が死ぬときだ。
教養がない(日常知識しかない)と、自分が老いる、病気になる、死ぬことなんて想像できないから、
「FIRE 5%ルール」「100歳まで持続する家計設計」「がん保険」「終身生命保険」「永年供養つき墓」「70歳まで支払う住宅ローン」「終身介護つき老人ホーム」
みたいなくだらない選択をしてしまう。