ウェブ人間論

梅田望夫氏と平野啓一郎氏による対談本『ウェブ人間論』を読み返した。そのメモ。

第一章 ウェブ世界で生きる

・ネットの世界に住んでいる
・検索がすべての中心になる
・「ウェブ2.0」への変化
・ネット世界で日本は孤立する
・自動翻訳の将来性
・ブログで人は成長できる
・ピン芸人的ブログ
・情報にハングリーな人たち
・ウェブ=人間関係
・リンクされた脳
・理想の恋人に出会えるか?

●8時間x2回にわたる対談
●「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義かつリアルなもの
●コミュニ―ケーションするときの時空の把握の仕方が変わってきている
●講演録や本の紹介がどこまでがOKか、色々な場所で色々な形で手探りの状態
高速道路理論で大渋滞の先に行くには構造化能力が必要
●1995年~2005年はネットの時代
●2006年~グーグル、検索の時代
●通信速度の向上など「利便性」はウェブ1.0の状態。ウェブ2.0ではそれ以上の変容がある。「参加型」が特徴。
●ネットは国の壁は越えられるが、言語の壁は越えられない
●ネット上に優れた海外講演の翻訳をアップすると爆発的に広がるが、リアルタイム性と網羅性がボトルネック。
●ブログを書くことで知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感がある。
●情報交換としてのブログ。直接個人のアイデンティティと深くかかわるような内容ではない場合、本名で公開。自分はこういう人間だというのをコツコツと記録してゆく場合は、匿名で公開。
●ピン芸人ブーム。ボケとツッコミを、非常識と社会の関係だとすると、ピン芸人のネタは、ブロガーたちがネットで不特定多数に向けて語っている言葉に近い。
●ある個人が一生に一度だけ書くことができた「万に一つの面白さ」のようなコンテンツも自動的に浮かび上がってくる仕組みが見え始めている。
●ハンナ・アーレントのウェブ(蜘蛛の糸)。言論と活動によって結び合わされた人間関係。その人の言動を通じて自分とはどんな人間か、本人の意図の有無にかかわらず暴露される。
●人を愛する、地位を愛する、仕事を愛する、何を優先順位の一番に置くかで人それぞれ感性は違うけれど、それぞれの価値観で最も重要だと考えている部分がネットを使うことで大きく増幅され、個性がより際立つ時代になる。

第二章 匿名社会のサバイバル術

・ネットなしではやっていけない
・五種類の言説
・新しい公的領域
・匿名氏の人格
・抑圧されたおしゃべりのゆくえ
・顔なしですませたい
・アイデンティティからの逃走
・たかがネット
・ネット世界の経済
・平野啓一郎という無名人
・空いてるスペースを取る
・分身の術
・『サトラレ』の世界
・パソコンをリビングに

●コミュニタリアニズムとリバタリアニズム。生まれたときに放り込まれたコミュニティで交わされる言葉や価値観と同時に、ネットの世界のあらゆる場所の人々と交流する言葉や価値観に影響されながら成長してゆく。
●5種類のネット言説
①リアルと連動。実名ブログ、有益な情報交換。
②趣味の世界。緩やかなコミュニティ。リアルから距離を置く。
③一種の日記。人に公開する意識もない。記録を付ける。
④本音の吐露。学校や社会など規則に抑圧された内心の声。リアルと対立。
⑤一種の妄想。ネット世界に新たな人格。リアルとかけ離れる。
●古代ギリシャ以降、私的領域と公的領域は分かれていた。私的領域が公的領域を圧迫し始め、やがて破壊した。代わりに社会的領域が成立。経済活動が主になり自分がどんな人間か言葉を使って表現する機会がなくなった。没個性化した対人関係が近代以降の社会。ウェブは新しい公的領域として出現した。(「まさに私的に発生したものが、おびただしい人々の参加によって、必然的に公的性格を帯びてくる。」養老孟司氏の書評より)
●自分を語ることは自分を知ることではあるが、同時に自分を誤解することでもある。「自分はこんな人間だ」と語ってしまった瞬間からそれを自ら信じ、しかし結局は言葉だから本当は少しズレてしまっていて、それが逆に自己規定となる。
●日本だと場の空気が悪くなるからというので控えるようなことをフランスでは食事の場で割とストレートに言い合う。そういう場所で自分の見解を自由に話して、あの人はこういう人間だというのが相手から承認されるなら、別に家に帰ってわざわざブログに書く必要はない。
●ネット住人のシニカルさ以上にリアル社会のほうが、もっとずっと残酷にシニカル。
●欲望の問題。セクシュアリティ(性的嗜好)というのはたんにその人固有のものではなくて、権力関係の足場として言葉によって外から捏造されたもの(フーコー『知への意志』)。捏造されたセクシュアリティが機能するのは、それに顔の同一性に基づく個人の署名がされてしまうから。環境に影響されて抱いた欲望だとしても、それを満たすときには自分が主体にならないといけない。ネットで欲望を追及する場合、その署名が必要ない、あるいは偽の署名でよいとなる。行為の結果が社会的な自己に跳ね返ってこないというのが決定的に新しい。
●ネット炎上。最初の数人ならともかく1500番目に罵詈雑言を書き込んでやろうと思う人の気持ちが分からない。どういう快感なのか。
グーグルの広告収入は1兆円規模。ネットの広告市場は3兆円。リアルの広告市場全体は50兆円。何もないところから大きくなって凄いと見るか、全体の比率で見るか。
●ネット空間において、匿名で本当に凄いものはできたことがない。
●インターネットの特性を利用して、環境変化を前提かつ不可避と考え、いかに身を守り、サバイブするか。
●膨大=ゼロと考える(情報は埋もれる)、スペースを見つける(検索にかからないもの)
●自分から情報発信すればするほど、検索結果空間を自分でコントロール可能になってくる。
●誤動作には「正しいものがNG」となる場合と「間違ったものがOK」となる場合がある。善いものが埋もれるのはリトライし、ひどいものが上がらなければ良しとする思想がある。
●一つの悪意が善意を吹き飛ばしてしまうこともある。しかしそれでネットを否定してしまったらもったいない。個として負の部分をやり過ごす強さと見ないようにするリテラシーをこれからのネット社会では身につけなくてはいけない。
●自然にやり過ごす能力が無いと長生きできない。それを身につけた人だけが生き残る。情報の絶対量が膨大だから、厭なものだと思ったときに見ないという本能。生存本能に近い。

第三章 本、iPod、グーグル、そしてユーチューブ

・表現者の著作権問題
・「立ち読み」の吸引力
・本は消えるのか?
・紙を捨てて端末に?
・スタンドアローンなメディア
・ユーチューブの出現
・iPodと狂気
・グーグルは「世界政府」か
・通過儀礼としての『スター・ウォーズ』
・ダークサイドとの対決
・シリコンバレーの共同体意識
・オープンソース思想とは

●著作権問題。極論を言うと、本はなぜ売れるんだろうということに行きつく。読む行為の一部は無料で、「読みやすくなる」「全文を読める」「保存できる」ということにお金を払うようになる。
●ネット上で一生懸命書けば、情報もよく伝搬し、影響力も大きいと思った。最後に1度だけ、1冊の本を作る努力を精一杯やってみたら思いがけないことが起こった。ネットではまったく届いていなかった広大な読者空間というものにぶち当たってその存在感を実感した。
●本とCDが一番違うのは、本はプレイヤーがいらないスタンドアローンなメディアだということ。これからの世代において携帯電話を身体の一部と思えるかというのは一番大きな分かれ目。
●ネットはフローを求めていく傾向がある。次から次へと新しいものが増殖してくるから、ブログでも過去にさかのぼって読む人は少ない。流動的に常に前へというのがインターネットのメディアとしての性格。
●音楽 - アップル - iPod - スティーブ・ジョブズ
●書籍 - アマゾン - Kindle - ジェフ・ベゾス
●ウェブは最初から分散の思想で、中央集権ではない。もともとアメリカが攻撃されても動くネットワークという思想で作られた。攻撃対象としての中央が存在しないということ。
●スターウォーズの世界観とインターネット、プログラミングの親和性。知識と出会いがあって世界を創造してゆく。
●グーグルのインターン生たちはスターウォーズっぽい若者たちが集まっているから「理想的には一流のエンジニアはすべての情報が開示されたときに最も正しい判断ができる。君たちを信頼している」と説明されてすごく感動している。
●オープンソースという現象のインパクト全体に比べると、そこから派生した領域でのビジネスボリュームは相対的に小さい。
●グーグルが商用に開発したシステムの重要な要素が、オープンソースになって社会還元してくる可能性は高い。
●普通の経済の世界では、人に何かをさせることの道具が2種類あって、1つは「雇用」でもう1つは「市場または取引」、そこにはお金が介在する。
●オープンソースの世界には「このバグ直しなさい」というメカニズム、人に何かを強制する道具立てが無い。誰が直すか決まっていないけど、バグが出たことが情報として共有されるとあっという間に誰かが直している。

第四章 人間はどう「進化」するのか

・ブログで自分を発見する
・「島宇宙」化していく
・ネットで居場所が見つかる
・頭はどんどん良くなる
・情報は「流しそうめん」に
・ウェブ時代の教養とは
・魅力ある人間とは
・テクノロジーが人間に変容を迫る
・一九七五年以降に生まれた人たち
・百年先を変える新しい思想

●ブログを書き始めたとき、自分はいったい何が好きなんだろう、何についてなら毎日書けるんだろうと考えた。自分で自分を発見する経験。
●決めてしまうとそれ以外を遮断する方向にも働いてしまうが、島宇宙化を肯定してもいい。
●ある人がどんな人なのかは、他者とのコミュニケーションの中でどういう言動ができるかにかかっている。誰もいない場所であればどんなことでも言える。そういう人間はネット上で言葉によって実在しているように見えて、本当はどこにも存在しない。それが自分だというのは一種の錯覚的な確信であるにもかかわらずそれに規定されてしまう。
●ある人が、ネットでのつながりも、仕事の時間も含めて、心地よく生きられるコミュニティを発見して、そこで長い時間を過ごすことは幸福という観点からもとても大切。
●島宇宙の外側の問題。逃げられない家族の問題。個人主義とそれを超えた政治、社会の問題。
資本主義のハビトゥス
●情報は常に流れているから必要に応じて拾いあげればよいと、情報との接し方が変わってきている。
●内部記憶と外部記憶、教養の意味するもの。内部記憶に何を入れてどう組織化するか。
●ネットで増幅できるのは知能や情報。ネットで増幅できないのが人間の魅力、体つき、顔、表情、雰囲気、論理的思考、何かが起こったときの対応の速さ、ウイットに富むこと、人の複雑な気持ちが分かること。
●若い時に何に感動したかによって何を生み出すかが変わってくる。
●リアル世界の第一線で活躍している人ほど生活が忙しすぎて知的好奇心の摩耗が起きている。
JTPA(Japanese Technology Professionals Association)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?