気が抜けた。
どう考えても機能不全家族、毒親、そして自分のセクシャルをがっつり見極めて「わたしは…!こんなセクシャルであることを!めちゃめちゃ大きな声で主にお医者さんに宣誓します!!」なんてすることの必要のなさをうだうだうだうだ考えてストレスで歯茎と扁桃腺腫らして、「あんたはそういうけどおとうさんだって悪気はないし、楽しいときもあったと思うねん」なんてテンプレみたいなこと言ってくる母の電話はとらないが吉だし、とにかく方向性が決まるまで現実から目をそらしてそらして受診日。それでもぐだぐだと準備して予約時間を過ぎてから受付をしたけど、お医者さんから「ぬか喜びをしないでほしいし、まだ何も進めていないわたしが思っているだけの計画だけど」と話されたプランは予想外の方向の精神的な負担の少ないプランだった。
端的に言うと、気持ちの確認(リュープリン注射をしているためホルモンバランスで乱れていない受診日にする必要があった)をされた後、
「今の大病院だと選択肢をなくす(妊娠出産の選択をなくす)手術はなかなか難しいが、産婦人科が主な病院で更に月経困難症等に詳しい手術のできる先生にかかれば、その先生の判断だけ(もしくはその先生の判断を主体として)で手術してもらえるかもしれない」というものだった。
自費かもしれないけど、とか、まだ打診も何もしてないけど、とか、確かになにも確定ではないけど、大病院に通いだしてから
「リュープリン注射でPMDDやPMS、生理痛といったものが抑えられた」「それ以外に原因となる病気などは見つからなかった」「ピルの服用など、体に負担の少ないものをことごとく試した」「妊娠出産できる年齢だが、本人にそういった希望がない」「社会生活を送るのが困難な症状だと本人が感じている」
といったことが政治家の謝罪会見よろしく号泣しながらの診察で証明(?)されたので、少し前までその大病院の産婦人科にいた先生(主治医とも知り合いで、信頼できると言われた)を紹介してもらえるそう。
てっきり岡山まで通わないといけないとか、あとどんだけかかるんだろうとか、日本マヂ無理とかばっかり考えてたけど手術できるならめちゃめちゃ助かる。「年内希望ですか?年内だと心の準備とかが難しいですか?」とも主治医に言われて、そんなに近い話なのか!!とびっくりした。ちなみに明日でも構わないくらい自問自答は終わってる。井上の場合急な病気とかじゃないからか、子宮や卵巣がなくなることに抵抗はない。
例えば常にお腹がキリキリ痛くて「腎臓が悪いので2個ある腎臓の1個を摘出しましょう」って言われても、手術自体に怖さを感じても「痛むほうの腎臓とっても片方は健康で服薬で済むならいいか」って思うくらい。このあたりの感じ方は人によるのかなぁ。髪や爪も「どうせ伸びるやん」と思う井上と大事に手入れしてる人では感じ方が全然違うだろうし、ほんとに他人の気持ちは「そうなんだね」としか言いようがないし言われようがない。
疎外感?は少し感じる。「あんたが元気になるまで頑張るから」なんて言ってくる依存親にはこれ以上頼るべきじゃないし、他人の中から親密な人を作るのも難しい。気が変わったら子どもを生むなんて可能性もなくなるから、異性愛者の男性に親密になろうとも言いにくい。フェミとか平等とかがまだ当たり前じゃないからこれだけ話題になるんだし、そんなぬかるんだ土壌みたいな社会で踏ん張ってる女性にも頼れない。同性だからこそ、「生理なんかで」みたいなことを思われたくない守りの姿勢。
いろいろ考えすぎて「まず自分の生活をしっかりしなきゃな、自立しなきゃな」って思って一人で過ごす。
婦人科系の摘出手術の体験談とかでは「喪失感」をよく目にするけど、うーん。そういや自分のペニスをもし失ったら死にたいって言ってた男性もいた。理由は「気持ちいいことできないじゃないですか」って言ってたけど、象徴的な意味のショックもあるのかな。
今の主治医は自称「産婦人科医が集まる講演会で講義をするくらい知識・理解がある」し、井上が調べていたこともしっかり説明してくれた。教科書みたいな説明だけじゃなくて「わたしが診てきた患者さん、同じ産婦人科医から聞いた話」とかも照らし合わせて話してくれるので、「理屈ではうまくいくはずなんだけど、実際うまくいかない患者さんもいらっしゃるのでまだまだわからない分野なんですよね」という前提で柔軟なお話が聞けた。
まだ見つかってない栄養やホルモンや細胞、いろんなものがあって、現代では最適な施術もうまくいかなかったりするんだろう。
反対に、「昔は薬がなかったのですぐ手術、摘出でした」という話も興味深かった。器具もないのでがっつりお腹を切らないといけなかったり、そういうのを考えると今軽々しく摘出できないことにつながってくる。
なんにせよ井上的には気持ちが軽くなった。母に報告すると何か言いたそうだったけど、血が繋がってても同じ人間じゃない。何が幸せかも一人ずつ違う。
そう思うのも個人の価値観かもしれないし、なんかいい感じのLINEを送って濁した。
個人でたどり着いた見解というか、いろんな病院に通って思ったことなのだけど、「なぜその薬を飲むのか」「その施術の意味はなんなのか」「最終的にどんな状態を目指しているのか」とかを話し合えるお医者さんがいい。分野外のことは責任がとれないからと産婦人科、心療内科、カウンセリングなどそれぞれに通い続けてきて(さらに風邪などのときは内科も加わる)、それぞれの先生が違う山の山頂を目指してる感じというか、感じたことを大げさに書くと「めっちゃ服薬してても生きてたらええやん」「実家あるならアルバイトでもしながら適当に遊んでたらええやん」「健全な精神、健全な生活を目指そうね」ってそれぞれの先生がそれぞれに思ってるから食い違って進めなくなる感があってここまでちゃんと向き合わずにきたというか。
単純に「昔からコレはこうするって決まってる」みたいな新しい知識をあんまり取り入れない(でも免許があればやっていけるのが医者に限らずコワイ)お医者さんや「そのやり方はなんか好かん」みたいな個人の性格に難があるお医者さんもいた。
あと、たぶんほとんどのお医者さんが「20代女性の幸せ」を「悪気なく」考えて、「結婚妊娠出産」に結びつけてたから、応急処置的なものが多かったんだと思う。実際経産婦になると体質は多かれ少なかれ(良くも悪くも)変わるみたいやから、お医者さんは間違ってない。けど、合ってもない。メンタルと性はめちゃくちゃ関係あるって感じるけどそれぞれ「専門外なので向こうで話してください」って言われる。カウンセリングはあんまり経験してないけど「薬を処方もしない知り合いでもない人に何を話せばいいのか」って思ってあんまり喋れなかった気がする。なんの専門なのかもわからないし。
どんだけ賢いお医者さんでも知らん人の幸せまでわからないと思う。自分自身、なんかもやもやしてるとき何にもやもやしてるのか、しっかり考えないとわからなかったりする。
それでもどこかへお邪魔したとき「どうぞ」っていきなりコーヒー出されることも減ってると感じるし、思ってるより未来は読めない。
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