レールに沿わないなら自分で考えなくちゃいけない

死ぬほど受け身でも死ぬまで生きられるのが日本だけど、大体みんな大なり小なり自分で選択しながら生活してる。例えばお仕事では完璧主義の上司の言う通りに動いてて自分の意思はないように思ってても、ばんごはんのメニューとか洗剤の種類とか選択の連続。そういう選択は自分のために自分でした選択だから、責任が全部自分。ひとつひとつは小さな負荷でも積み重なるといっぱい考えて選び続けたことになるからいつのまにかしんどい。
みんながんばってる。はよ「遊ぶ金ほしさに働きたいです」って面接で言える時代こい。

先週(12月半ば)、4週間ぶりの大病院。ほんとは2週間前もお話しましょうって予約とってくれてたんだけど、バイトを辞めることで疲弊してて行けなかった。闘うつもりがないなら「おかしいです」と言わずに辞めようと決めて、黙ってた。根気よく土壌から変えられるほど思い入れのある職場ではない。人付き合い、ほんとは管理職がしなくちゃいけないマネジメントもできない。なので逃げた。

先週はリュープリン注射を打つ日だったのもあって来院。産婦人科の先生は、心療内科の先生(もともと心療内科の先生が産婦人科の先生を紹介してくれた)とお手紙や電話をしあって施術予定の病院にこれまでの経過を送って着実に不安な部分を埋めてってると話してくれた。

また、この件とは関係ないのだけど、年明けに精神科医のweb講義?シンポジウム?があって、ベテランの臨床心理士の先生から「私達はPMDDについて全然知らないから、講義してくれないか」と依頼があったことを話してくれた。井上の二十代は精神科と産婦人科の両方から「専門外のことはわからない」と言われて体感では生理と精神は密接に関わっていたけどバラバラに診てもらってた。今回たまたま行った精神科の先生が産婦人科の先生を紹介してくれて、連絡を取り合って診察してくれてるのだけど、こういう講義のテーマとして取り上げられるようになったことはどちらの分野からも進歩だ。近い将来連携が当たり前になるかもしれない。
その依頼のタイミングが今だったから、先生は運命的なものを感じていた。流れがきている。産婦人科医がブラックジャックじゃなくても患者を治せる未来がきている。

井上はずっとLINEのアイコンの横に「25世紀に生まれたかったです」と添えていた。25世紀くらいなら、生理痛なんてなくなってるだろう。頭痛かったら脳みそ取り外して丸洗いできる未来。毎日動けるなら、なんでもできるな。そんなSFの世界の出来事だと思ってた手術が今世で受けられそうなことにびっくりしてると先生に話して2人で笑った。コールドスリープで25世紀まで待たなくてもなんとかなりそう。

落ち着いて不安要素を消していこう。
そもそも注射もきらいなんだけど、もうちょっとだしがんばろう。
めっちゃあおじんでるけど、大したことない。

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