毎日国境を越える働き方をしていた頃。 香港↔︎中国本土
香港は中国本土南東の先端に位置していて、中国とは陸続き。
香港は中国の一部なんだから、日本の”県境を越えるよう”に自由に行き来ができる
と思っている方もいるようですが、国境を越えないといけません。日本人はパスポートとビザ(変更があるので確認必要)が必要だし、香港人も中国へ入るためにパスポートや証明書(カード)などが必要です。
わたしが香港で製造に関わる仕事をしていた時、
週のうち3日はイミグレーションを通る越境通勤をしていました。
会社からは、「毎日(3日間)通勤となると大変だから、ホテルに宿泊していいよ。」とは言われていたものの、当時子どもたちが小学高学年〜高校生の頃だったので、1週間のうち3日間も家を空けているのがイヤだったので、毎日2時間、往復4時間かけて中国に仕事をしに行っていました。
香港と中国で働くのは大変?
「それは大変ですね!」
と言われる中国への越境通勤と中国での仕事は、香港とは全く勝手が違うので、体力的には大変だったけど「面白くて仕方がなかった!」というのが本音。
当時、香港のキャリア女子や香港スタッフからは、「中国なんて行きたくないわ。lコワイし…。井上さん、よく行くわね。」と半分呆れられてたのですが、いえいえ、楽しかったのです。
それは、香港という街がそれほど大きくなくて、新しい世界(領域)へ飛び込んでみたいという願望が少なからずあったのでしょうね。
当時、中国はインフラが整いつつあったけれど、まだまだ香港と比べては田舎。香港側の国境付近ののどかな風景を見つつ、イミグレーションの駅・羅湖に到着し、そこからイミグレを超えて、深圳側へ行き広州行きの列車に乗り込み東莞へ。
最初はひとりで列車に乗り込むことも緊張感があったけど、慣れたらなんでもない。通勤時間中は、毎日ドラマを観ていました。笑
東莞は、日本や世界の工場が進出してましたが、深圳や広州と比べてもまだまだ、のどかな雰囲気が漂う地域で、場所によっては古き良き中国の風景が見れました。が、当時は、不夜城と言われる歓楽街もあり、夜になると多くの男性がそこへ傾れ込んでいく…日本人男性が多いところは、そんな夜の街も繁栄していたように見えました。とにかく、日本人女性がひとりで歩く場所じゃない…なんて言われてました。
東莞で働く社員や工員も香港で働く香港人とは気質も違ってて、ひとり一人の性格や個性が違うと言ってしまえばそうなのですが、元々の常識や育ってきた背景が違うのでびっくりさせられることもすごく多かったのです。
最初にびっくりしたのは…
・とにかくオフィスも工場も香港と違って広い。大きい
・履歴書に「共産党員」ということを書いている
・香港と比べて「上(権限)」の力には従順
・品質…という観念が香港や日本と全然違った
・「犬」を日常に食べている社員がいた…
(珍獣はレストランで食せます)
・レストランには有名な政治家の写真や絵が飾られているところも
仕事に関しては、いい意味で、”香港よりも伸び代しかない”としか感じてました。
越境通勤で気をつけていたこと
どこの国に行ってもそうですが、”日本人は海外に行くと日本人とわかる振る舞いや行動”をしているもの。わたしはすでに10年以上香港にいましたし、その頃には広東語もずいぶん話せるようになっていたので、見ただけでは日本人とはあまりバレませんでした。(なぜか韓国人には、よく間違われましたが…笑)
ただ、中国では日本人と思われたらあまり良くないことも
当時はあり…気をつけていたのは
・服装はカジュアル気味にしていた(キレイな格好はしない)
・化粧は日本人ぽくならないように薄め、最低限
・首に巻くマフラーなどは、引っ張られないように巻く
・バックはしっかり”クチ”が閉まっているものを使う
・白タク(タクシー)は使わない
・反日の活動や情報が流れたときは、日本語を使わない
・パスポートのスタンプページの減りが異様に早いので注意
こんなことを自然と意識するようになっていました。
やっぱり香港より気をつけないと危ないと感じることが多かったのです。実際危ない目にも何度かあいましたし。ただ、仕事では、広東省だけでなく、他の地域にも行っていましたが、中国はイヤなところも多々あるのですが、面白い国です。
最後に
最近、自分史や自分のキャリアを振り返る中で、中国や香港で仕事を通して経験してきたことを思い出してきました。それを人にお話すと「面白い」「為になる」と喜んでもらえることがわかりました。自分では当たり前すぎて、あまり書こうと思っていなかったこともお役に立てそうです。
今後は、もっと海外でのお仕事に関しても書いていく予定ですので
どうぞ、お付き合いいただければ嬉しいです!
では
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