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仕事とプライベートの両立
人生いろいろあるとは言いますが
働きながら…
「育児と介護と看病」が同時期にやってきた時には、
あまりの重圧とプレッシャーに一気に老け込んでしまいました。笑
️▪️仕事とプライベートで抱えていたもの
香港人の夫は海外のリゾート地で単身赴任(これは、本当に羨ましい限りでした…)。この時、わたしは、香港でワンオペ生活。
状況はこんな感じでした
・仕事では昇進、出張が当たり前の生活…
毎週週3日の香港から中国・広東省へ国境越え通勤
・義理の母の痴呆症進行、
そして、持病と新たな病気+手術と入院生活
・日本にいる実母のステージ4の癌、手術や治療での入退院。
休暇の時には、日本へ行き実家の手伝い
・こどもたちと朝と晩の少しの時間だけしか
一緒に過ごせないというジレンマ
・定期的に受けていた健康診断は、今まで健康で良好だったものが
A→D(検査必須)の数があちこちに見られるという恐ろしい結果
もう、無理はできない状況でした。
1人で抱えるのはムリ!!
日本人女性らしく?
我慢強く、自分で抱えてしまっていましたが
この時期に少しでも負担を軽くするためにしたことです。
▪️家族や周りを巻き込んで一緒に乗り越えよう!
1、家族(夫)の協力を求めた
離れて暮らす生活が、実は10年ほど続きました(月1で1週間の帰国)。
だから、私に任せっきりの人だったら、正直、離婚になってたと思います。笑
それくらい、私にとって辛い時期でした。
その時、夫にお願いしたのは
・毎日、夜短い時間でも連絡をくれること。
互いの日々の報告と私の愚痴を聞いてもらう。夫は他国で自由に暮らしていたのですが、私は子どもたち、義理の母のことなど夫にも”自分事”として、実感しててもらいたかったから。
・香港に戻ってきた時には、積極的に子どもたちと関わってもらい、家のことも手伝ってもらった。
もともと、料理、掃除、育児も好きな人だったので苦にならなかったとのこと。
2、行政のサービス・外注(家事代行・お手伝いさん)サービスを利用
仕事を辞めるという選択はなかったので、金銭的に許せる範囲内でサービスを利用しました。
・家事をアウトソーシング。
・行政などに頼れるサービスと補助金は使用。
・義理の母のお世話は途中から難しくなり、老人ホームへ入居してもらう。
3、しっかりと休む
これは実質とても難しかったのですが、本当に無理な時はムリしないで
休むことは意識してやってました。
4、子どもたちにもお手伝いを依頼
当時、子どもたちは小学校になっていました。
自分でできることは、なるべくやってもらうようにしていきました。
完璧にはできないけど、やってくれたことを褒めて、感謝してたら
進んでお手伝いもやってくれるようになりました✨
本人たちの自立のためにもよかったと思います。
5、会社へ理解をしてもらう
会社が支援をしてくれるようなシステムがあれば良いと思いますがそういう会社は、正直少ないと思います。当時働いていた会社にもありませんでした。
でも、急な用事が入ってしまうことなども考え
少なくとも状況だけは、状況を知っていて欲しかったので
直属の上司には、自分の状況を伝えていました。
理解のある上司だったので、それだけで気持ちが違ったものです。
▪️ひとりで抱え込まないことが大切
私の場合、夫も協力的でいてくれ、毎日の電話にも親身に話を聞いてくれていたので、「わかってくれる人がいる」という存在として、とても大きなものでした。
外に助けを求めることは、金銭的にも余分にかかりますが
体を壊してしまうことや、心の余裕、また、子どもたちに対しても不安な想いをさせたくないという想いで、家事代行を依頼しました。
家事代行は、週に2〜3回の夜ご飯を作ってもらっていたので、わたしも残業で遅くなっても、子どもたちが食べれない…という大きな不安はありませんでした。
5年ほどしてから、それでも、キツくなっていく仕事と共に
体も心も疲れ果ててしまいました
実は、体を壊し、これ以上の無理は効かないと判断…し
会社に部署移動(香港ないだけの勤務の仕事へ)の願いを出しました。大好きな仕事でしたが、もう、これ以上、続けることはできませんでした
会社からは、会社の管理職もやっていましたし、
日本と海外のグループ会社を巻き込んだプロジェクトのリーダーもしていたこともあり、止められましたが、最終的に部署移動をさせてもらいました。
ただ、その後、新しい仕事が全く合わず、移動後、約1年で退職。
▪️やっぱり女性の負担の方が大きい…のが現実
結果として、退職してよかったのですが、
正直、なぜ、女性ばかりが背負ってばかりなの…と
その時は、転職と思うほどの仕事をしていたので、なぜ私が辞めなければいけないのかと、心の中ではかなりモヤモヤしていました。
その時、年齢もアラフィフ。もう、会社で働くことはない…というか、出来ないかもと思い落ち込むこともありましたが、
心身的に、あれ以上続けることは出来なかったので、
納得の上での退職です。
もしかすると、私自身、まだムリが効いたかもしれません。でも、私が「出来ない」「ムリ」と言わないと夫も会社も、私ならまだ大丈夫だろう…と思っていたでしょう。強い女と途中からは、思われるようになりましたから。
▪️最後に
仕事をしながら育児をすること
介護や看病が、同時期に入ってきたなら
本当にあなた自身が潰れてしまわないようにしてください。
私は、海外でこのような状況になり、最初は自分で乗り越えられるのではと思っていましたし、乗り越えようとしていましたが…ムリでした。
また、弱音を吐いたあと、まわりが協力してくれて
幸いひとりで背負い込まなくてもいい環境になったので
乗り越えられたというのも大きかったと思います。
出来ない…ということ
自分の限界を知ること
助けが必要と声をあげること
なかなか、出来ないかもしれませんが、一度声をあげてみてくださいね。
なかなか自分よりもこどもたち、家族を優先しがちですが
自分のことも大切にしてくださいね。