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あまchan 「霊降ろし」体験

横の 霊・水 が広がりゆく

音葉さんのお話会にて
富士山にご挨拶して

2日後 我が街を流れる
多摩川の畔 川岸にまで

初めてのこと ひとり静かに
何かが違っていた 心持ちか

佇んでしばらくすると
言葉が浮かんできました

「地球とは目の前の河のことだ」

空には雲ひとつない 青
陽が燦燦と輝いて  光

さらに浮かんだ言葉
「光降ろしのこと」

ひおろしとは
 光降ろしであり
 陽降ろしであり
 日降ろしであり
 火降ろしであり
「霊降ろしなのだ」

「光という霊(ひ)なのだ」
「霊(ひ)として 生きる」
こんな言葉が胸に沸いたのです。


被岸に浮かぶ太陽

わたしにとっての光降ろしとは
ヒカリエネルギーを戴き
太陽さんに感謝して
日という時間を戴き
熱と温と色彩を戴き

それらすべてが
「霊」として注がれると
観じたのかもしれません

「ヒ」は
カタカムナ文字の最初で
「ヒフミ・・・」とあり
一・二・三 の意を持つ

この一は「1」ではなく
根源の意義をもつらしい
つまり大元か。

思い出すのは「正」の字
昔の大聖が読み解いている
正とは「一に止む」のこと

大元 根源のことという。
そして人間の生き方の
あるべき姿であるとも説く

比較しての一ではなくして
源ということなのでしょう

正しい生き方とは
「一に止む」生き方と
中々難しいけれど光降ろしで
少し前進したかもしれません

帰り際に足元を見たら輝く光
冒頭の地球とは目の前の河だ

まさに天の陽が
光となって
霊となって
河面に輝いていました
とても感動しました

8910ハクトの時代
縦の 光・火 が映し出され
横の 霊・水 が広がりゆく

水の流れが広がりゆく 河面
一瞬も止まりたるはなしに
どこへ行くか

流れ流れて 太平洋へ行く
そして地球をめぐる海水へ

何もかもすべてを流しゆく
その一点に映し出された光
それがわたしへの「霊降ろし」

流れがあれど 一点に在る
陽とともに 光とともに
いまある生を生きること

まさに霊に降りたと感じました
河面の光降ろし ご覧ください

多摩川でのわたしの体験 動画です


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