地方公務員が考えるべきこと 第2回 「ふるさと納税=返礼品競争」と切り捨てて議論を終わらせて良いのか?
ふるさと納税は、「過度な返礼品競争が税の本質を歪める」と大きな批判にさらされてきました。大阪府泉佐野市と国による最高裁までもつれた裁判の行方も注目され、最終的には泉佐野市が逆転勝訴となったものの、返礼品に対しては「節度を欠いた」「眉をひそめざるを得ない」との意見も示されています。
ふるさと納税は、本来は行政サービスの対価として住民が分任すべき税負担を回避し、その分を行政サービスと関係ない地域に支払うもので、税の趣旨にそぐわない仕組みとして批判されてきました。形式的には寄附金なので、公益法人や政党への寄附による税控除と同じです。しかし、ふるさと納税は寄附した金額の大半を納税額から控除されるため、実質的には他地域に納税していることになるわけです。しかも、寄附先から御礼として届く返礼品が非常に魅力的なので、寄附の動機が「地域を応援したい」という純粋な気持ちではなく、単に「返礼品が欲しい」という人が続出しているのです。さらに、寄附者と自治体を仲介する民間の情報サイトが登場し、情報サイトに参加する自治体が増えてくれば寄附が多く集まるため、急激に拡大しています。これらのサイトを使うと、まるで通信販売で買い物をするような感覚で寄附することになります。もちろん通常の通販よりも高いのですが(返礼品の上限が寄附金額の3割と定められているため、通常の通販の約3.3倍の価格になります)、寄附金の大半を税控除されるため、結果的にはほとんどタダで買い物ができることになります。極端な言い方をすれば、「寄附をしている人が、返礼品という寄附を受けている」ことになっているわけです。もちろん寄附を受けた自治体も増収になるので(寄附金額から返礼品や情報サイト利用料などを差し引いた金額が自治体の増収分となる)、魅力的な返礼品を提供する競争は今なお激しく続いています。
さて、ここまで、ふるさと納税が過剰な返礼品競争を招くことへの批判について述べてきました。これは一般的に言われていることなので、決して私だけの意見ではありません。ここで、私はもう一歩議論を進めてみたいと思います。それは、ふるさと納税の問題の本質は各地の返礼品競争にあるのではなく、納税に対する住民の理解との競争にある、ということです。「ふるさと納税=返礼品競争」と切り捨てて終わらせてはいけないと思います。
納税者は、①ふるさと納税をするかしないか、②どこにふるさと納税をするか、という2段階の選択を経て、ふるさと納税を実行します。返礼品競争は、②に着目したものです。具体的には、A市のお米なのかB町のお酒なのか、より魅力的な品物(返礼品)を選ぶのが②になります。しかし、その前に①で、(納税を回避して)ふるさと納税をする、という選択をしているわけです。ここがあまり注目されていないように思います。
先に述べたように、ふるさと納税は実質的には他の地域に納税するものです。本来納税してもらうはずであった地方自治体にとっては、ふるさと納税によって税収が減ってしまいます。特に大都市では他自治体へのふるさと納税による減収が大きく、「サービスの削減を検討せざるをえなくなる」と住民に財政への影響を訴えています。しかし、年々ふるさと納税の総額は増え続けているのが現実です。つまり、①でふるさと納税がますます選択されていることになります。
日常生活を送る上で行政サービスは不可欠です。それは、住民の納税によって賄われています。このことが十分に認識されていないために、ふるさと納税という「自分への分かりやすいメリット」に納税が逃げていっているのではないでしょうか。移動に必要な道路や憩いの場としての公園、生きがいづくりのための福祉、健康、水道、子どもたちへの教育など、行政サービスはどれも生活に不可欠なものばかりです。これらは社会全体で享受されるものが多く、住民の負担も社会の一員として分任するものです。行政サービスは住民の代表者たる首長や議会によって提案・承認されているわけですから、代表者を選ぶ住民が負担を分かち合うことになります。
ところが、地域全体に提供される行政サービスは住民個人の負担は直結していません。例えば、鉛筆が欲しい時には自分で鉛筆を購入して自分が使う、これが普通の行動です。これに対して、行政サービスはみんなで鉛筆をシェアするのですが、自分は欲しいと思わなくてもみんなが必要だから購入し、場合によっては自分も応分の負担を求められることになります。「必要ないのにお金を払え!」といったことが起こりうるのが行政サービスと納税なのです。物を買うのと同じ感覚では「払いたくない」という気持ちになるでしょうが、民主的なプロセスで決まる行政サービスはこうしたものなのです。
「消費税の増税などを唱えると選挙で勝てない」「税金を取られる」などと言われるように、上記のような行政サービスと負担の関係に理解を得るのは大変困難です(特に日本)。買い物のような感覚で寄附金と引き換えに返礼品が貰える方が個人のメリットが分かりやすくなるので、納税が流出しやすくなってしまうのだと思います。
とはいっても、これは納税の本来のあり方です。ふるさと納税が増えているということは、逆に言えば納税への理解が減っていることになるのではないでしょうか。住民が地域で享受する行政サービスが本当に負担に値するものだと認識されるのであれば、ふるさと納税で行政サービスが縮小してしまうのは地域全体にとってはデメリットになるはずです。そのように認識されていないから、ふるさと納税が増えてしまう、といった側面もあるように思います。
つまり、ふるさと納税の問題の本質は返礼品競争である、というよりも、その前に行政サービスと返礼品との競争によるアンバランスの拡大にある、と言えるのではないでしょうか。返礼品競争が激化して魅力的な返礼品が増えれば増えるほど、本来必要な行政サービスとの間に魅力の差が生まれ、納税への理解が後退するのではないか、と危惧しています。
私は、ふるさと納税の返礼品を魅力的なものにしようと奮闘する姿勢を、ぜひとも行政サービス全体を魅力的なものにする姿勢にもつなげてほしいと思っています。他の地域よりも魅力的な返礼品を開発しよう、という意気込みは自治体職員の奮起を促す面もあるので、これを行政サービスに応用していくこと、つまり地域の中で返礼品と行政サービスの競争を促す形に展開していけば、ふるさと納税がむしろ健全な行政サービスと納税の関係を再構築するかもしれない、とも考えられるのです。「ふるさと納税=返礼品競争」という批判は正しいと思いますが、それで切り捨てて終わりにするのではなく、逆に行政サービスの見直しに活かしていく方向性も取りうるのではないでしょうか。
毎回テーマはバラバラですが、日曜日に立ち止まって考えられるテーマをこれからも提供していきたいと思います。