「幸福」とは「満たされること」ではないのかもしれない

 私は福井県で長らく過ごしてきたが、福井県は「幸福度日本一」で知られている。かつては東洋経済新報社「都市データパック」の「住みよさランキング」で福井県内の市はトップ10やトップ30の常連で、福井市は県庁所在地で唯一ナンバーワンとなっている。今も、日本総合研究所「全47都道府県幸福度ランキング」で福井県トップを維持している。子どもの幸福度など、他の調査でも同様であるから、「福井県は幸福度日本一」と名乗っても良いであろう。その要因は、福井県がさまざまなことに恵まれている、つまり「満たされている」ということに尽きる。仕事が豊富、悩みが少ない、コミュニティが強固、などだ。

 私はその幸福度日本一の福井県を離れた。別に不幸になりたくて離れたわけではないし、福井で享受した幸福が全てなくなると思っているわけではない。現在暮らしている東京には東京の幸福があるだろうし、福井のそれとは別のものであると感じている(ただ、東京は年齢を重ねると不便なことは増える。電車や徒歩での移動、狭い住宅などは、やはりこたえてくる)。全体としては、福井との違いに戸惑いながらも、何とか適応しているところで、それが東京での(自分なりの)幸福なのかもしれない。

 話は少し変わるが、先日、NewsPicksの番組「Weekly Ochiai」(落合陽一氏の番組)のゲストに、将棋界のレジェンド羽生善治氏がゲスト出演し、難組の最後に「豊かな人生とは」についてコメントしていた。私は将棋はしないけれど羽生氏と同学年で、氏の自己啓発本を愛読している。若手の藤井聡太棋士の台頭などで最近の羽生氏は精彩を欠く状況だが、同世代として応援している。その番組で、幸福に関連するは羽生氏の言葉に驚愕してしまった。

落合氏「豊かな人生とは?フリップに書いてください」
羽生氏「はい」

と言って、よどみ無くスラスラと書き、いつもの飄々とした様子でフリップを読み上げた。

「後悔がたくさんある事」

 落合氏も「ふだんフリップにびっくりすることはないけど、これはさすがにびっくりした」と、唸っていた。もちろん私も同じだった。恐ろしいほど深く、正しい!

 誰しも後悔はしたくないはずだ。「後悔先に立たず」が、これまでの常識だった。後悔しないよう入念に準備して、適切に行動する。失敗はあるかもしれないが、一生懸命取り組んだのなら後悔もない。次に活かせる。だから、後悔するようなことはするな、というのが私たちに浸透している。

 しかし、どれだけ準備しても、その通りにコトが運ぶとは限らない。将棋でも、対局に向けて十分に作戦を練っているはずだ。しかし、対局ではそのとおりにならず、途中からその場での判断が勝敗を決める。しかも、勝負が決まった後に「感想戦」を行い、どこが勝敗の分かれ目だったかを相手と検証する。その時に「あの時気づいていれば…」となるはずだ。つまり、感想戦は後悔の場なのであろう。勝負のたびにこれを繰り返すのだから、将棋の世界は後悔がつきものだと言える。

 別の番組では、羽生氏は「強い相手と対戦するのが楽しい」とも語っていた。私の記憶では、「テニスの試合でもラインギリギリに厳しい球を打ってきたのをしっかり返せた時に楽しいと感じる」ということだった。しかし、もし返せなかったとしても、原因と対策を考える。そして、本当は返せたのかもしれないと思い、後悔する。そうしたプロセスを経て、次に返せたのなら楽しさは倍増するはずだ。だから、強い相手との対戦そのものも楽しいのだろう。

 羽生氏の言葉を聞いて、豊かな人生とは、事前に幅広い選択肢があるなかで最前の可能性を探り、実際には成功も失敗もあるなかで、成長につながる後悔がたくさんあることなのだ、と感じた。幸福もまた、このような要素があるに違いない。

 福井の幸福度日本一は、こうした面で見ればやや弱いのではないかと感じる。人生の選択肢が他の地域よりも多いとは思えないからだ。しかし、それで私は「福井県は幸福度日本一ではない」と言いたいのではない。このような評価をいただいた福井県だからこそ、幸福とは何かを真剣に考え、あえて自己否定にもつながるようなことまで含めて幸福を探求する地域であってほしい、と思う。

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