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あいみょんのライブで、人生を肯定できた

生まれて来る時代、間違ってなかった。むしろ現代に生きていることを誇ろう。

9月28日、あいみょんのアリーナツアー『ドルフィンアパート』初日に参戦して、心の底から思えた。

なんだか生きづらいに時代に生まれて来ちゃったな、と大学生の頃からずっと思っていて。

便利さと引き換えに、スピードが速く目まぐるしい日々。
老後の備えを、と言われても1年先すらどう変わっているかわからない。
追い打ちをかけるごとく、毎年のように各地で災害が発生し、温暖化で体への負担も増えていく...

豊かになったとはよく聞くけれど、みんな余裕がなさそうで、将来の不安は尽きない。
どう考えても、解決しないといけない社会課題が多すぎる。
現代を生きている人なら、一度はゾッとしたことがあると思う。

そんなモヤモヤを抱えながら過ごしていると、ないものねだりとは理解しつつも、つい考えてしまっていた。
少し前の時代に生まれていた方が、幸せだったんじゃないか、と。

親世代が育った昭和の暮らしを見ていると、今より日常にあたたかさを感じられる。

何をするのも、令和の現代よりお金がかかっただろう。だからこそ、身の回りのものを手作りやお下がりでまかなうライフスタイル。

コンビニに24時間お弁当が並んでいることも、ネットで買った商品がその日のうちに届くことも当然ながらない。
でも、みんな今よりゆっくりと生活を営んでいる様子じゃないか。
家電も高級だから、一家に一台のテレビを家族で囲む。チャンネル争いの兄弟ゲンカですら、もはやうらやましい。

もちろん、当時の人だって悩みや不安はあったんだろう。
でも現代のわたしたちのように、なんだか生き急いでいるけれど、何をしたいのかよくわからない、といった類の内容ではなかったんだろうと想像がつく。
事実、何度も読み返している一冊にこんな記載がある。

私がかつて精神科医として扱うことが多かった問題は、例えば「愛情の飢え」「劣等感」「人間不信」といった熱い情念が絡んだ悩み、いわば「温度の高い」悩みが中心でした。しかし最近では、「自分が何をしたいのかわからない」といった「存在意義」や「生きる意味」に関するテーマが持ち込まれることが多く、これを一人密かに苦悩しているような「温度の低い」悩みが主要なものになってきているのです。


仕事なんか生きがいにするな/泉谷閑示


気にしいで、ささいなことも大げさに受け取りがちなわたしは、SNSに流れる不平不満やいたずらに恐怖を煽ってくるニュースが目に入るたび、何度もため息をついていた。
なんでこんな息苦しい社会なんだろう。ああ、生まれて来る時代間違えたかも...と。

悶々とした感情を抱えながらも、今を生きていくしかない。
だったら少しでも現状をいい方向に変えようとエネルギーに溢れた自分もいれば、とはいえ大変なこと多すぎて無謀だろ...と卑屈になる自分もいて。
両極端のつな引きをくり広げては、はあ、バブルの頃を生きて豪遊したかったんだが...なんて叶いもしない妄想をしてみる。

ところが、昨日ステージであいみょんが歌う姿を見ていたら、確信できた。
彼女と同じ年代に生まれられて、本当によかったな、と。

あいみょんは1995年の早生まれなので、わたしの4つ上だ。学校で先輩後輩にはならないけれど、お姉ちゃんにならありえる。
彼女のファンには、もっと上の昭和生まれや、下の世代もいる。推しへの気持ちに年齢なぞ関係ないと言ってしまえばそうだ。

でもやっぱり、同世代の人には親近感が湧いて、想いも強くなる。
あいみょんも同じアニメを見ていたし、同じ遊びが流行っていたんだろう。
そういえば前にラジオで、「ウィルコムのガラケー」「プロフ帳」の話題が出てきて、首がもげる勢いで共感した。

ステージの上では、かっこよく振る舞い、遠く感じてしまうけれど、子どもの頃にはわたしと同じアニメや遊びで育ってきたんだ。そう思ったら、なんだか泣きそう。

何より、これからも同じ時代を一緒に歩んでいけることがさらにうれしいし、楽しみすぎる。

確かにざわつくことが多く、落ち着かない世の中だと思う。
でも、あいみょんも同じ時代を生きているんだから。何がなんでも楽しく生きよう、そして推しもわたしも、他のみんなもハッピーな世界を作りたい。

わたしが今より物書きとして名を馳せたら、一緒に仕事をしたい。と勝手にニヤニヤしている。いや、実現できるように成長するのみだ。

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