【イノシチとイモガラ珍百景】 #24 外伝・末裔たちのラプソディ(4)
きらめく星空の下、広々としたプールのそばで、リクライニングチェアに寝そべりながら優雅にカクテルを楽しむ女性の姿がありました。
彼女の名はコマチ。普段は、イモガラ島の古くからの遺跡などを案内するガイドとしてあちこちを飛び回っています。たまに休暇を取って、この高級ホテルの屋上に構えられたプールで過ごすのがお気に入りでした。
コマチのいるプールサイドとは真逆の方で、ザバザバと騒がしい波音を立てながら、ふたりの男がはしゃいでおりました。体格の良い、全身スーツタイプの水着をまとった方がミチナガ、ピッタリした海パンを身に着けている細身の方がナリヒラです。さっきからふたりは、飽きもせずお互い水をかけ合いながら、子どもみたいに大笑いして実に楽しそうでした。
「まったく、しょうがないわね」
呆れたように笑って、コマチは呟きました。
「これじゃ、ムードも何もあったものじゃないわ。東の海岸よりはマシだけど」
コマチの言う“東の海岸”とは、イモガラ島でも有数の海水浴場として知られている場所です。島民のイノシシたちは、夏になるとこぞってこの南北に長く広がった海をめざして一気にごった返します。ここ最近では、近海をウロウロしている謎の怪鳥“ホホー鳥”の姿を見られるとあって、ますますその人気は高まっているのです。
ただ、あまりにイノシシが殺到し過ぎて、砂浜でのマナーの悪さが以前より増えてきたのも事実。たとえば、スイカ割りをする場所の取り合いで大ゲンカになってしまう、などです。先日にはそれがエスカレートして、用意していたスイカをぶつけ合ってケガ人が出るという事件がテレビでも報道されたばかりです。
「なんで皆、少しは譲り合おうとか、そういうことをしないのかしらね。イモガラ島の民度も落ちたものだ、なんて言われてしまうと、ちょっと悲しいものがあるわね」
とまた、コマチはひとりごとを言いました。
「コマチ君、何をひとりで愚痴っているんですか?」
「お前も一緒に泳ごうぜ、気持ちいいぞ」
ふと声をかけられ、コマチが顔を上げると、先ほどまではしゃいでいたミチナガとナリヒラがプールから手を振っていました。
「ごめんなさい、遠慮させていただくわ。ここから周りの景色を眺めるのが好きなの」
そう軽くあしらったコマチの目に留まったあるものが、夜風に吹かれながら音もなくきらめきました。
それは、イモガラ島に住むイノシシたちの体長くらいはありそうな、牙のような形をした黄水晶でした。通称、“黄金の牙水晶”と呼ばれているそれは、まさにここでしかお目にかかれない珍品中の珍品です。それと同時に、かつてこの牙水晶を他の場所へ移動させようとした者たちが相次いで何らかの災難に遭う、といういわく付きの代物でもありました。
何だかんだと噂の絶えないこの水晶ですが、コマチは個人的にこれを大変気に入っており、最適な位置へリクライニングチェアを移動させてから眺めて楽しむのです。
「確かに、あの牙水晶はいつ見ても立派だもんな」
ナリヒラが、感心したようにうなずいてみせると、ミチナガもまた、
「いかにも。我々にとっても、あれは非常に大切なものですからね。神聖なる牙水晶を、俗っぽい好奇の目に晒すわけにはいかないんです。むやみに動かそうとするなど、もってのほか!」
などと話しているうちにどんどんヒートアップし、最後の方ではすっかり鼻息が荒くなっておりました。
「そうよね。私もそれには賛成よ」
と、コマチも言いました。そしていたずらっぽく微笑みながら、こう続けました。
「ねえミチナガ、“あの件”に関してはやっぱり、あなたの差し金だったんでしょ? あの牙水晶、危うく“イモガラ珍百景”の一つに加えられそうになった時があったじゃない」
「えっ何それ、俺知らなかったよ」
とナリヒラが目を丸くしました。彼は、あまりわずらわしいことには首を突っ込みたくないタイプでした。
「おや、あの一大事を知らなかったのですか、君は」
とミチナガは、心底呆れたといった表情をして言いました。
「いやはや、あの男ときたら、いつの間にかこのホテルにまで取材に来ていたんですからね! とはいえ、彼にもその権利はあるのだから実に厄介極まりない。そういう時こそ、“花吹雪”の出番ですよ。彼の行きつけのバーに潜り込ませ、わざとネガティブな噂話を聞こえるようにしゃべらせたんです。それだけで、勘のいい彼はすぐにピンときたのでしょう。それからぱたりと、牙水晶が珍百景に追加されるという話は聞かれなくなりました」
“花吹雪”とは、ミチナガに付き従うトップシークレットの隠密集団です。ナリヒラとコマチは、内心(うわぁ、陰湿……)と思いながらも、ミチナガの話にうんうんと耳を傾けました。まあ、(一方的に)敬愛するイノシチのためならあらゆる手段を駆使するミチナガですから、これくらいは余裕でしょう。
「……しかしながら、」とミチナガは言いました。
「こんなにも素晴らしいオブジェを、イノシチさんに直に見ていただけないのが、本当に悔しくてたまりませんな」
「そんなの、イノシッちゃんを、このホテルに招待すれば済むことじゃね?」
「わかってないなあ、ナリヒラ。事はそんなに容易ではないのですよ。そりゃ、君は交友関係が広いからアレだけれども」
ミチナガが、急に声を潜めました。
「いいですか、このホテルが一体、誰のために作られたものかという点を、まず念頭に置かなければなりませんよ。そうでなければ、我々が今、イモガラ島においてこれほど優遇されていることの意味がなくなってしまう。そうでしょう?」
それもそうだ、とナリヒラとコマチはうなずきました。
「そして!」
とここでまた、ミチナガの鼻息が一層荒くなりました。声のトーンも一段階上がり、今夜の彼はどうも浮ついている様子です。
「今日というこの日をわざわざ選んで、我々がなぜこのホテルに宿泊するか、という点が今はより重要なのです。いいですか君たち! 心の準備は!」
「……って、お前さんは大丈夫なのかよ、ミチナガ」
と、ナリヒラがプールから上がりながら言いました。
「だってここ、思いっきり明日の会場の真ん前じゃん? 場所聞いた瞬間、俺にはすぐに分かったぜ」
「ホントそうよ、全くあきれちゃうわね」
とコマチも、困惑したような笑みを浮かべながら言いました。
「だって、明日がアンコール上演の初日ですものねえ? しかも、開演前にイノシチさんが舞台あいさつに来るって言うから」
「そう、そうですとも! だからこうして前泊してるんですよ!」
とミチナガは、興奮のあまり水面をバチャバチャさせました。まるで歯止めのきかない子どものようでした。
このホテルのすぐ向かいには、旧・王室劇場という非常に由緒正しい劇場があり、以前ここでイノシチをモデルにした舞台演劇が上演され、大好評を博しました。その演劇がこのたびアンコール上演されることになり、例のごとくイノシチファンのミチナガは、特別なコネを使いまくって全日程のチケットを確保したのです! これはまさに、お金も時間もある彼でなければできない芸当です。
「はいはい、じゃあもうプールから上がって、しっかり身体を乾かしてゆっくり寝ましょうね~」
「そうそう、私たちも十分楽しんだから、そろそろ明日に備えましょ」
ナリヒラとコマチは、すっかり慣れた風で彼らの友達をなだめ、ミチナガの巨体を一緒によいしょー、とプールから引き上げました。
「む……仕方ありませんね。では、お開きにしますか」
巨体からザバザバと水しぶきを滴らせながら、ミチナガは明日の夢のようなひとときに想いを馳せていました。
(困りましたね。今夜はなかなか寝つけそうにありませんよ……さて、パンフレットは絶対ゲットして、ブロマイド写真は……何セット買いましょうかねえ?)