思想史の盟友・竹内整一君(東大名誉教授)の死を悼む
「さようなら」という言葉は、本来なら「さようであるならば」である。英語のgoodbyeとはそもそも違う。いったん心は立ち止まっており、「そうならなければならないなら」というある種の諦念、相手側を慮る美しい心意が込められている。
というような日本人の無常感などをテーマに著書を幾冊も書いている竹内整一東大名誉教授が2週間ほど前に亡くなった。
じつは竹内は長野高校の同級生でもあり、また東大大学院の客員教授に僕を招聘し、2000年から09年まで月1回は赤門前の居酒屋で大学院生を交えて飲食しながら議論したりした僕の親友でもあった。
彼も夜型で夜中の3時ごろ電話で雑談をしたりしていた。そして朝方まで原稿を書き彼も昼近くに起きる同じようなライフスタイルだった。
昼近くに起きて来ないので奥さんが起こしに行ったら亡くなっていた。死因は医者もわからず不正脈による心不全と診断せざるを得なかった。僕は2年前に心臓の血管が詰まりかけていることが人間ドックでわかりカテーテルの手術をした。彼がちゃんとそういう検査をしていたら、と惜しまれる。
竹内とは単なる高校時代の悪友ではなく、親しく付き合ったりしたのは根拠があったからである。
竹内は、有名な著書『風土』で知られる和辻哲郎のいた東大文学部で倫理思想史を学んだ。和辻の直下の弟子が相良亨でそのまた直系の弟子が竹内である。僕は東大法学部の丸山政治学で著名な丸山真男の外れ弟子の橋川文三のそのまた外れ弟子である。
つまり竹内と僕は思想史としてはカテゴリが少し異なるとしても、まあ学問的にはイトコよりやや遠いハトコぐらいの関係になるのだ。そのハトコの関係をイトコぐらいに近づけようとの学問的な試みを2人でしていたわけである。高校の同級生が同じテーマを共有することなど稀有な出来事といえよう。
今日、長野高校の同期会があった。そういう会にはめったに出ないのだがめずらしく行く予定にしていた。本来なら竹内と僕は久しぶりにそこで再会するはずだった。
だからいま、心底ちょっと淋しいのだ。
写真 ◎竹内整一君のお通夜
◎竹内整一が書いた『天皇の影法師』の著作集解説
力がこもっているなかなかいい文章だ。
◎2023/10/15日曜日 於・長野 長野高校同期会