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2001年9月11日火曜日が21世紀の世界史のなかでどんな転換点となるか、誰が想像しただろうか。


「いい人がニッポンを駄目にする」

 二〇〇一年九月十一日火曜日が二十一世紀の世界史のなかでどんな転換点となるか、誰が想像しただろうか。この日、台風十五号が関東地方を直撃し、早朝から激しい風雨が吹き荒れていた。
 ──九月十一日午前中、官邸の大広間で全国都道府県知事会議が開かれた。高速道路問題は知事たちには生命線に等しい。日本道路公団が建設する高速道路は郵便貯金などからの財政投融資と利用者から徴収する通行料金によって賄われる。国費も三千億円投入されている。地方の財政的負担はない。だから高速道路の誘致は、いわばクリスマスプレゼントのようなもの、タダでもらえるものなのだ。中央から地元へと大規模工事をもってくる、インフラが整備され便利になる、など自分の手腕が発揮されたと考える知事も少なくない。小泉首相は、ここは形式的な会議ではなく構造改革に対する注文や不満を吐き出させる場と捉えた。自由討議にして言わせるだけ言わせようともくろんだ。大阪府の太田房江知事は「構造改革は対症療法ではなく、新しい産業発展に資する雇用対策をお願いしたい」と意見を言った。だが関心はやはり高速道路に集中した。高知県の橋本大二郎知事は「高速道路は地方が競争を始めるためのスタートラインであり、すでに整備したところと未だ整備されていないところでは競争条件が平等ではない。高速道路の整備は行政改革とは別問題だ」と九三四二キロメートルの完成を急ぐよう訴えた。類する発言がつづいた。
 十時過ぎに始まった全国知事会は二時間半近くに及び、ようやく十二時三十分に昼食タイムとなった。小泉首相は二十分間ほど食事に付き合うと大広間の喧騒からするりと抜け出た。
 僕が官邸に着いたのは午後一時三十分である。飯島勲・政務秘書官は接客中で代わりに長身で愛想のよい岡田秀一秘書官が秘書官応接室で待っていてくれた。総理秘書官は、政務秘書官以外に四人いる。岡田秘書官は経済産業省から出向している。そのほかに財務省から丹呉泰健秘書官、外務省から別所浩郎秘書官、警察庁から小野次郎秘書官と、旧来の割り当て通りになっている。なぜかこの旧通産、旧大蔵、外務、警察の四省庁の出向者が首相側近としての定位置をずっと確保してきている。
 丹呉秘書官が秘書官応接室から現れると岡田秘書官は席を譲って秘書官室へ戻った。前主計局次長の丹呉秘書官は同期の次官レースのトップを走っている財務省のエースだが、エリートの臭みを少しも感じさせない。混雑したレストランで会ったら気づきにくい、人影に姿を重ね消えてしまう特質をもっている。ニュース映像に小泉首相が映るとき、その脇に必ず丹呉秘書官が寄り添っているが決して人びとの記憶には残らないのだ。
「全国知事会は、もう高速道路をつくってくれのオンパレードでしたよ」
 丹呉秘書官が苦笑しながら、その様子を説明した。これがニッポンです、いい人たちがニッポンを支えている、そしてニッポンを駄目にする、と僕は笑い返した。
 首相執務室では丹呉秘書官も同席した。
「先日は、いったん凍結する、と申し上げましたが、凍結したままでは皆さん納得できないと思います。いまの道路公団方式での建設をやめ、今後は一本一本の路線を精査しながら必要、不必要を決めていくやり方がよろしいかと思います」
 前回に提出した分割民営化案の「付録篇」はA4判で十枚ほど、「凍結後の道路建設をどうするか」とタイトルが打ってある。一枚目をめくった。
「全体計画を見直したうえで、どの道路が必要でどの道路が不必要か、採算性及び経済効果を、国民の代理としての第三者機関で査定し、あらためて高速道路建設を国民の合意の下ですすめていく」と書いてある。
「第三者機関か、それはいい案だ」
 小泉首相はしきりに頷いている。国鉄をJRとして民営化した際には、国鉄再建監理委員会という民間人による第三者機関が存在した。民営化論者にとってはひとつの常識ではある。だが、道路公団民営化論議はにわかに持ち上がったばかりで騒然としており、ほんとうにやるのか、俺たちの道路はどうなるのか、との疑義のほうが先行していて、冷静に国鉄再建監理委員会方式を応用していく、というところまで気持ちが追いついていかない。
「付録篇」にはもうひとつ、重要な問題提起が含まれている。
「道路特定財源、道路公団、整備計画は三位一体で処理する」と書かれていた項目である。日本道路公団へ投入されている三千億円の税金をゼロにしても三十八兆円の債務は三十年以内で返済できる、との試算はすでに八月六日に直接説明してある。
 道路特定財源(国が三兆五千億円、地方が二兆三千億円)が五兆八千億円もある。ガソリン税(揮発油税)などを中心とした目的税で道路以外には使ってはならぬとの金城湯池、これを高齢化対策や環境対策へ振り向ければどれほど国民のためになるか、小泉首相は一般財源化を総裁選の事実上の公約にしているのだ。高速道路だけでなく一般国道のほか地方単独事業の道路でも道路特定財源は核になる。それでも足りず一般財源も投入され、地方債も発行されてきた。これで年額十二兆円の道路予算がはじき出される。日本の二十五倍の広大な国土を有するアメリカの道路予算とほぼ同額にあたるのだから異常である。
 日本道路公団に投入されている三千億円をゼロにしたぶんをそのまま他の道路建設に回したら改革の意味がない。まずこの三千億円を一般財源化して道路特定財源というタブーに挑戦する突破口にしたらどうだろうか。
 小泉首相の脳裏には塩川財務相、扇国交相、二人の大臣の顔が浮かんでいた。午後三時三十分にこの首相執務室に彼らがやって来る予定になっている。そこで道路特定財源の一般財源化について指示を出すつもりであった。
 首相執務室の湯呑みは蓋がついている。「三位一体」の話に一区切りをつけて茶をすすった。ふと数日前のニュースを思い出した。
「ところで総理、人口が少なくて熊が出そうな地域は信号もほとんどなく渋滞もしないのだからわざわざ高価な高速道路をつくらなくてもいいわけですし、もう少し資源の配分を効果的に考えなければいけないんですが……」
 北海道の札幌から旭川方面へ向かう道央自動車道で三百キロのヒグマが乗用車、十一トントラック、四トントラック、ワゴン車の計四台の車につぎつぎとはねられ即死した。九月六日深夜一時の出来事である。
「熊、死んだんだ。かわいそうだねえ。しかし、四台が大破か、破壊力があるな」
 小泉首相の表情が緩んだところで、「無駄なものを切れば、逆にほんとうに必要なものが浮かび上ってくるわけですよね」と丹呉秘書官がきまじめに軌道修正した。
 僕は大事なことをほかにも伝えるつもりであった。
「扇国交相にお会いしました。こうおっしゃっていました。九三四二キロは閣議決定されたものですから、わたしはそれに従うしかない。小泉首相が、内閣総理大臣としてのイニシアティヴで閣議決定をやり直してくれないかぎり一大臣としては困ってしまう、と」
「だからやり直そうと言ったんだ。やり直せばいいじゃないか」
 会談のあと秘書官控室で丹呉秘書官が安堵した表情で言った。「今日、来ていただいてよかった。とてもタイミングがよかったんですよ。なにしろ知事会ではオールオアナッシングで攻められて、総理も困っていましたからね」
 たしかに小泉首相の下瞼には疲れたときの浮腫みが出ていた。
「第三者機関がやる、ということですべてが解決するんですが、猪瀬さんがそう強調してくれたのでいま完全に総理の頭に定着したと思います。これから記者の人たちにも第三者機関でやると、猪瀬さんからも積極的に発言してくださると助かります」
 ドアの外で番記者らが待っている。
 翌日の紙面は、「計画中の高速道路建設をいったん全面凍結し、今後の建設の是非は第三者機関が判断すべきとの案を示し、首相も前向きだったという」(読売新聞9月12日付)というふうにレクチャーが反映されている。見出しは「高速道計画全面見直しも/首相示唆」となっていた。別の記事でも見出しは「首相、計画凍結に言及/自治体の反発必至」(朝日新聞9月12日付)とあるが、「今後、必要な道路については、第三者機関が採算性や経済効果を査定したうえで建設を認める──などの持論を説明した」と第三者機関のイメージが定着しかけている。

橋本龍太郎に会う

 官邸から西麻布の仕事場へ戻った僕には憂鬱な任務が待っていた。橋本龍太郎元首相・前行革担当相にアポイントをとってある。行革の第一人者への説明義務を怠っていたことに気づいたのは、石原行革相がヨーロッパの民営化事情の視察に出発してからであった。橋本元首相とはまったく面識がない。だいたい永田町と縁の薄い人生を送ってきたのだから、小泉首相を含めごく一部の政治家と偶然に知り合いになったぐらいで、いちいち面識があるわけではない。サンデープロジェクトなど画面で眺めたかぎりでは、橋本元首相は気むずかしい論客である。負けずぎらいの理論家で、相手が不勉強だとこめかみにイライラマークが点灯する。自分の考えを深い部分で理解した場合には一転して眼を細め、目尻に幾重にも皺が寄り表情が微笑みであふれる。
 九月十一日火曜日の午後、自民党総務会で野中広務元幹事長は「できることとできないこと、それぞれ手順をしっかり考えてスケジュールを立て進めるべきだ」と述べている。特殊法人の廃止・民営化よりも公務員制度を変えることで官僚の天下りを規制したほうがよい、などの持論を展開したのは午後の自民党行革推進本部の幹部会の議論を牽制するためであった。太田誠一本部長は「(特殊法人改革は自分のところで)キープする」と僕に言明したが、その防波堤は彼の体軀ほどには頑丈ではない。行革推進本部長の太田誠一を取り囲むかたちで橋本龍太郎元首相、野中元幹事長、中村正三郎元法務大臣のいずれも行革には一家言ある三人の実力者が常任顧問として控えているからである。いずれも若輩の小泉首相よりはこの問題でずっと多くの汗を流してきたという自負がある。「道路公団を民営化したら巨大な独占企業が生まれるだけではないか」と、廃止・民営化をあてこする意見が出る雰囲気だった。この場で橋本元首相が「これから猪瀬が来るんですよ。喧嘩しないようにしないとねえ」と語っている。前行革相としての矜持があるのだ。
 この発言を、僕は知らぬまま出かけようとしていた。約束の時間は四時四十分で、二十分ほど時間を割いてもらえるようスケジュール管理の秘書にお願いしておいた。西麻布でタクシーをつかまえたのは四時である。渋滞して遅れたらいけない、早めに出た。

扇国交相の抵抗

 ちょうど塩川財務相と扇国交相が官邸の首相執務室で小泉首相との会談を終えた時刻である。小泉首相はどんな指示を出し、彼らはどう応じたか。
「道路特定財源のうち自動車重量税を一般財源化したい。とにかく来年度予算でやってみたい。一年間だけでも試みたい。再来年度以降については、一年かけて考えればいいんだから」
 塩川財務相が、まあそれもよかろう、と相槌を打ちかけたところで、扇国交相はすごい剣幕でまくし立てた。
「総理、わたくしとしてはそんな提案、とても承服できるものではありません。そんなことができるわけがないじゃありませんか。自動車のユーザーから高い税金を取って、自動車と関係がないところに使うと言ったら、そりゃ、ユーザーの方々が怒りますよ、そうでしょ」
 道路特定財源は国交省が死守してきた聖域である。国交省の道路整備特別会計は、財務省の一般会計とは別で完全な聖域である。その聖域にメスを入れようなどという〝危険な思想〟を公然と口にした首相は、歴代内閣では皆無であった。
 自動車重量税は新車を買ったり、車検のときに取られる税金で、〇・五トンにつき年額六千三百円、ふつうの車は約一・五トンなので年額一万八千九百円、新車購入時には三年分が取られるから五万六千七百円、つぎの車検時には三万七千八百円が取られる。
 扇国交相が言うようにすべての国民から徴収した税金ではなく、車を購入した者だけにかかる税金なのだ。だから一般財源化はできない、との主張は自動車重量税について幾度も繰り返されてきた。
 自動車重量税は、一九七一年に田中角栄・自民党幹事長(当時)の発案でつくられた法律で、福田赳夫大蔵大臣(当時)は国会答弁で「主たる目標を道路に置いておりますが、道路標識その他の交通安全対策、これにも配慮いたし……」と弁解している。道路利用者に配慮した一般財源、というような曖昧な言い方をした。自動車重量税は道路特定財源とは明記されておらず、したがって目的税としての法的根拠はなく、この国会答弁答弁が唯一の根拠とされているのである。
 二〇〇一年度の自動車重量税は一兆円以上もの巨額に膨らんでいる。うち七割が国、三割が地方に配分される。国の取り分の七割のうちのまた八割は自動的に道路特定財源に入る。金額にすると六千億円弱である。
 車にはさまざまな税がついてまわる。車を買うと、自動車取得税四千八百億円、購入時の消費税八千億円(一般会計)。保有しているだけで自動車税一兆八千億円、自動車重量税一兆円、軽自動車税一千三百億円。以上、車体にかかる税金約四兆二千億円。
 走行段階では、揮発油税二兆八千億円、軽油引取税一兆二千億円、石油ガス税三百億円(収入額の半分は石油ガス譲与税として地方へ回る)、消費税三千六百億円(ガソリンも軽油もガスにも一律かかる)。以上、燃料課税は約四兆四千億円。
 車体、走行合わせて九兆円近くなる。このうち目的税は国土交通省の道路整備特別会計へ回る。地方税も目的税は道路事業に回る構造になっている。こうして自動車重量税を含めた道路特定財源は五兆八千億円にものぼる。
 小泉首相は少なくとも自動車重量税は目的税扱いせずに、一般会計へ戻したらよい、と考えた。とりあえず一年、来年度だけでも。というのは〇二年十二月までに暫定税率の見直しを迎えるからだ。自動車重量税は一九七四年と較べて税率を二倍以上にしてきた。「暫定税率」ということで、ふつうに戻すタテマエになっているが、暫定のまま現在に至っている。五年ごとに暫定は見直しする。その五年の期限までに一年ある、だから一年だけ一般財源化をしてみて、それがうまくいけば恒常的に特定財源から外すことができる、と計算したのだ。
 扇国交相の抵抗は激しかった。もっとも扇国交相はここで反論しなければ、国交省という巨大な役所から見放され、大臣室の表札がついた独房に閉じ込められまったく相手にされなくなる、そんな恐れが心中を支配していただろう。
 夕方、記者団に囲まれた小泉首相は、扇国交相の抵抗についてこう語っている。
「抵抗勢力に遭う前に女性の猛烈な抵抗に遭っちゃったよ。まあ、しかし、非常時だからね。これまでの理屈を言ってたら何もできない。党内で議論して、かえって、にっちもさっちも行かなくなるよりは、最初に方針を明示して、そのなかでいい案を出してもらうもらうほうがいい……。扇さん、なかなかうんと言わなかったね、女の抵抗、怖かったよ。たいへんな剣幕だった。なんとかこらえてくださいとなだめましたけど。この場では返事できませんって出て行っちゃった……」
 僕は橋本元首相との面会を片付けて肩の荷を下ろしたところだった。麴町の橋本事務所には早めに着いてしまった。たいがいの出版社はどこにあるか知っているが、考えてみたら政治家の事務所には縁がなかった。タクシーを降りるとき、ふと振り返ると文藝春秋の看板が見える。当然ながら見慣れた建物で、すぐ近くの小さなビルの四階に橋本事務所があるなど考えてもみなかった。
「約束の時間より早過ぎてご迷惑をおかけしてはいけないので、入口のこの控え室で時間まで待たせてください」と若い秘書にお願いし、同行した助手の生島佳代子と二人で二十分ほど椅子に掛けてひたすら待った。その間、こうした成り行きにならざるを得ないのだな、と思った。小泉首相や石原行革相に提案する役割だと思っていたが、ただ提案するだけではすまないとわかったのだ。知人の官僚に「橋本元首相に説明しなければいけない。だが時間が経ちすぎていて、いまからではちょっと手遅れかもしれない。リスクは七割をみたほうがいいです」と忠告されていた。そうか、リスクか。
 案に相違して、橋本元首相はにこやかに出迎えてくれた。執務室兼応接室は書籍や書類があふれ、剣道の竹刀や防具が無造作に置かれていた。ソファに坐り、早速、本題に入った。前日の九月十日月曜日、小泉首相は首相・総裁経験者である橋本龍太郎、森喜朗、河野洋平、中曾根康弘、宮澤喜一の五人を相次いで訪ねていた。官邸を一時三十分に出てまずいちばんに訪ねたのが橋本龍太郎で、そこに小泉首相なりの気配りがあったことはたしかである。
「日本道路公団や住宅金融公庫を名指ししてやる手法は感心できない。他の省庁は自分のところは安心だと手をゆるめる」と橋本が不快感を示すと、小泉は「はっきり指定して先行させ、全体の改革を引っ張るのです」と反論した。その翌日、橋本の前で、その同じソファに坐ることになった僕はその「名指し」の日本道路公団の民営化の手順について説明をはじめるのである。

内閣でやってくれ 

 橋本は行革の専門家を自負している。勉強家なのだ。僕は八月初旬に小泉首相に提案した民営化プランを締め切りぎりぎりに入れてもらい、文藝春秋十月号に「道路公団『解体』を急げ」のタイトルで掲載した。十月号は九月十日発売である。
 僕は「今日はお叱りを受けにまいりました」と素直に切り出した。資生堂のヘアクリームをきれいに櫛で撫でつけた濡れた髪ではなく、微笑むときの目尻の皺が端正な顔を引き立てている。「読ませていただきましたよ」と橋本は言った。文藝春秋十月号のことである。「凍結といっても、いますぐ建設を中止するという意味ではなく……」と僕が説明をはじめると、「一年半の余裕がある」と中身を先取りするかたちで即座に応じる。民営化プランには「二〇〇三年三月末まで」と明記しているが、発売日の翌日なのに読了してポイントを完全に押さえている。
「橋本さんと小泉さんにとっては、行革は趣味だと思うんですね」
 皮肉ではない。
「ふたりとも不器用だからね。そのうえで手法が違うところがあって」
 細い縁の小振りの老眼鏡をかけ、そのつるを少し持ち上げながら、上目遣いでこちらを見つめてやや鼻にかかった声で言った。
「多少、お時間いいですか」
 きたな、と僕は思った。長広舌の演説がはじまりそうな気配であった。橋本は、文藝春秋十月号の中身について、道路公団には「利益隠しがある」と示した部分、「あそこはおもしろかったですね。財務諸表の分析の仕方がね。にやにやしながら読みましたよ」と、勘どころをきちんとつかまえて褒めたあと、一転して険しい口調になった。
「ふたつ首をひねったところがあります。これは個人的体験ですが、九五年の阪神淡路大震災のとき、わたしは通産大臣をしておりましてね。電力、ガス、復旧復興でたいへんでしたよ。結節点が壊れたときはこんなにたいへんなのかということがいやというほど身に沁みました。東日本、西日本をつなぐ線が破壊されているから。零細な小売クラスへの影響は計り知れない。結節点が一カ所切れると日本はほんとうに崩壊する。西日本西日本には日本海側にもう一本、別の国土軸がほしい。第二国土軸ですよ。太平洋側の国土軸と日本海側の国土軸、この二つがないと物流が止まる。ほんとうにボディーブローのように効いてきます。道路、鉄道、内航海運、これらをどう組み合わせるかという課題です。道路公団を分割するとありますが、地域分割でもつかどうか、疑問があります」
 行革断行評議会案は、分割案としてたとえば東名自動車道と中央自動車道、山陽自動車道と中国自動車道を別会社にしている。路線ごとに競争原理をはたらかせようと考えた。だが橋本は経験則からこれは非現実的なプランだと言いたいようだ。
「国鉄の民営化で勉強になったのは、イギリスは線区別でやって失敗したということです。党行財政調査会長だったときに向こうの実情を調べた。地域ブロックがいい。域内交通と域外交通の量を勘案して線区別ではなく地域別に分割した。鉄道と道路と航空は競争します。鉄道の側で考えると二〇〇キロまでは車に負ける。七〇〇キロなら航空と鉄道は競合できる。一〇〇〇キロを超えると航空が勝ちます。JRは四国を独立させたのが失敗でした。本四連絡線でつながるのだから、橋があるのだから、四国と中国をいっしょにすべきだった。東日本は看板会社という頭があるから、ある程度の土地を残しました。他からは土地を剝がせるだけ剝がして、清算事業団に渡したのです。そのうえですごく必要性を感じながらもう一本の国土軸の建設が足並みそろわない。新幹線でなくても標準軌にかえられればよい。だから山形のミニ新幹線はわたしがやりました」
 僕が拡げた路線別の地図の、山陰地方の部分をあらためて指さして、この部分に第二国土軸としての高速道路が必要だ、と繰り返した。
 予定時間をだいぶ過ぎていた。
「この行革断行評議会の提案をどうするか、ですね」
 橋本は元首相として、当選十三回のベテラン議員ならではの段取りをこんなふうに手ほどきするのである。
「行革断行評議会は石原さんの私的な諮問機関ですが、それでもこうしてせっかくプランがつくられているのだから、それを石原さんが自分で止めてしまうのか、生かすなら政府側のテーブルにのせるのか、党側にのせるのか、それしかないわけですよ」
 たしかにメディアが認知し書き立てているのは小泉首相が興味を示したからだが、制度制度空間をくぐり抜けていない私的プランにすぎないのだ。
「石原行革相は僕を上手に利用してくれればいいんです」
「そうは言っても利用するには手順がいるんですよ。まず石原さんが、閣議後の閣僚懇談会(註──閣議は内閣法の規定にもとづいて開催されるが、閣僚懇談会には法的根拠がない。閣議は前日の事務次官会議で決まったことをそのまま承認するという形式的な会合となっていたため、官僚が事前に作成したシナリオによる議事進行からの脱却を目指して当時の細川護煕首相が閣僚懇談会を提案した)でさりげなく、こんなプランを作成したんです、と披露する。つぎに官邸の行政改革推進本部(本部長は首相、構成員は閣僚)で報告させてもらい、ではこれでやってくださいというかたちで石原行革相にあらためて下げてもらう」
 なるほど、と感心した。そうすると正式な決定ではないとしても、公性を帯びる。もちろんもうひとつのルート、つまり自民党の行革推進本部へ回す方法もある。だが橋本元首相はこれを勧めなかった。こんなものを党に持ち込んでもらいたくない、内閣でやってくれ、ということだろう。
 二十分の予定が一時間になっていた。橋本龍太郎は権威主義者でなく好奇心の人だった。そして理論の人だった。
 西麻布に戻りアエラ、週刊朝日のインタビューを立てつづけに受け、レギュラー出演している土曜午前十時のフジテレビのニュース情報番組の打合せをこなし、ほっとしてニュースステーションをつけた。眼を疑った。ニューヨーク・マンハッタンの世界貿易センターのツイン・タワーに旅客機が激突するシーンが映し出されている。長い一日だった。
『道路の権力ーー道路公団民営化の攻防1000日』(2003年11月刊)


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