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おとなになる楽しみ
わたしは幼稚園の記憶がわりにはっきりある。
得に没頭した遊びの一つだったのが、油粘土でちいさな星をつくることだった。
ちいさな星とは、惑星などではない。
5つのツノがある、星形のことである。
なにかと星形がプリントされたナップザックやおもちゃが多かったような記憶があるし、おそらくこの星形には、幼心を引きつける何かがあるとわたしは確認している。
休み時間になると、お絵かきや積木や追いかけっこしている人が多い中、わたしはほとんどの時間をちいさな星をつくることに専念した。
幼稚園生にとっては重たい油粘土の塊をずどんとテーブルにおき、まずは5分の1程度の大きさにプラスチックのナイフで切り分ける。さらに小さな方を細かくナイフでぷちぷち分断した。
ちょうど良い大きさになってきたら、手でちぎりつつ、両手の親指と人差し指でつねるように星の角をつくる。この時間は何かに取り憑かれたように没頭できる時間で、大好きな時間の一つだった。
直径1センチにも満たない油粘土でつくった星。
それを満足いくまで黙々とこしらえて、テーブルにずらりと並べるのがとにかく好きだった。
自由時間が終わると、そのちいさな星をプラスチックの粘土ケースにひとつひとつ、そっとしまっておき、そしてまた次の自由時間に同様の星をせっせと作るのだった。
しかし油粘土であるために、少々粘土箱を乱暴に扱うだけで、わたしの星は何度も他の星と願わずとも合体した。紙粘土と異なり、油粘土はなんどでも形を変えられるのは良い点だが、力作が合体することも多々ある。
こしらえた星の角がなくなることもあれば、星をたくさん作ったはずなのに、また一つの粘土に戻っている時もあるためさすがに仰天したが、大してショックも受けずにまた黙々とちいさな星を作るような子供だった。
小学生に上がった頃、だれかの友達のお土産で願いが叶う星の砂という商品をもらった。
なんでもこの地球のどこかには、はじめっからちいさな星の形をした魔法の砂があるらしく、それを瓶に詰めたものをプレゼントしてくれた。
わたしが幼稚園で作った油粘土の星よりもはるかに小さい1mmほどの星の砂は色だってネズミ色じゃない、綺麗なクリーム色なのだ。
砂を星の形にしてしまうなんて、地球はなんてロマンチックなのだろう、と小学生ながら地球の神秘に胸を打たれ、いつか星の砂が一面に広がった離島で寝っ転がりたいと夢をみたりしたものだ。
今はとてもそんなことはしないけれど、当時はまだ幼かったので、願いが叶う魔法の星の砂を眺めながら、当時好きだった男の子もわたしのことが好きであってほしいと心でそっと呟いて、勉強机の小さな鍵付きの棚にしまった。
この星の砂の正体を知ったのは、つい最近のことだ。
ふふふ、若かったな、と歳を取る度に今より若い頃の自分を笑ってしまう。
大人になる楽しみは案外こうゆうところにあるのかもしれない。