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【自己紹介】はじめまして。いのです。
※2024年8月2日アップデートしました。
はじめに
はじめまして。いのです。
このnoteでは私の日々の仕事、そして学んだことのアウトプット、ほんのちょっとのぼやき(偶にポエマーw)を書いていければと思います。
2024年7月31日、長く務めていた会社を退職いたしました。
少々体調を崩していたこともあり、現在は無理のない範囲でブランディング支援、コンテンツマーケティング、PR、採用広報等のお仕事をお手伝いさせていただいております。
変わった経歴を持ってる私なので、このnoteでは簡単な経歴をまとめてみました。是非ご覧いただけますと幸いです。
幼少期
子供の頃から音楽に触れ合う環境にいた私。
物心ついたことから歌手になることを夢見て、健やかに育ちます。
ピアノは3歳から習い、小学生で新体操とジャズダンスを。
部活は吹奏楽。
この様に、音楽は私の日常の一部でした。
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創作力を育ててくれた大切な思い出は、毎週行く教会での日曜礼拝です。(キリスト教の幼稚園に通ってた為、日曜日は教会に行ってました。)
バプテスト協会だったので、結構自由度が高く心優しい牧師さんだったこともあり、色んなことに挑戦させてもらえました。
自分で劇の台本を作ったり、歌を作ったり。
それらを讃美歌や、劇といったことを自由に表現させてもらえる環境だったので、ここで色々と物事を作り出す事の土台が出来たのかもしれません。
小学生の頃は、アクターズスクール全盛期の時。
歌手になることに強い憧れがありました。
小学校の時に地元のカラオケコンテストに出て入賞したことをきっかけに、地元のダンススクールに通い、福島のテレビ番組にてドキュメンタリーで追ってもらい、これから歌手になることを信じてやまない夢見ガールでした。
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ギャルサー時代
幼少期は優等生でした。
そりゃあ、そうです。私の1週間のスケジュールは月曜〜土曜日まで習い事。そんなの日々の癒しはなんと『ギャル』とPCのギャルの2ちゃんねるみたいな場所。
様々なストレスの解放として思いっきり、方向転換を考えます。
そうです。
優等生だった少女はたちまちアグレッシブに脇道を逸れましてギャル街道まっしぐら。
どのくらいかというと。
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このくらいです。
びっくりするくらい見る影もございません。
当時福島県には、ギャル文化やギャルサーがなかったので、作っちゃえとなって、いわゆるそのルートを引っ張ってきてギャルサーを作りました。
全盛期で100人のスタッフと8つのサークル。
主にイベントをやるんですけど、フライヤー作って、パー券捌いて、イベントのタイムテーブルやゲスト(eggやmens eggのモデル)ブッキングして、タイムテーブル作って、ショーケース作ってみたいなことをやるんですよ。
勿論D-1といって、全国の都道府県で開催されるギャルの祭殿の福島支部代表で、そういうギャルカルチャーを福島県に持ち込みました。
イベントによって集客はまばらでしたが、とにかく泥臭くガンガン尖ってやってたので、会場は常にパンパン。
3年くらいやって、私は引退し後輩に引き渡しました。
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インディーズ歌手時代
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上京しワタナベエンターテイメントスクールのシンガーソングライターコースに行きます。
そこでDTMとボイストレーニングを学ぶのですが、世の中そんなに甘くありません。都会にはそれはもう才能のある子が沢山いて、とんでもない美しい子がゴロゴロいたのです。
技術、ビジュアル共に抜きん出ていない事に気付いても、持ち前の負けず嫌いに拍車が掛かり、何をどう努力していいのか分からずにがむしゃらにレッスンに通う日々。
思い描く高い理想に中々追いつかないことにフラストレーションを感じていました。
卒業がデビューにつながるかというとそうではなく、最初は仮預かりみたいな感じで某事務所に出入りしながら、地道なクラブでの下積みを得て、インディーズレーベルに拾ってもらい、ミニアルバムが出せました。
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CDを出すことが夢だったので、CDを手にした時の妙な達成感は今でも忘れられません。
その1年後に、ダンスボーカルユニットで別インディーズレーベルよりシングルを5枚配信しました。
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ダンスボーカルユニットはランキングに入ることも多く、amazonの音楽チューンでは、1位を記録しましたが例え1位になろうと、たったそれだけでは生きていけません。
世の中甘くはなかったんですね。
当時は、ギャラを頂けるお仕事も増えていました。
しかし、遊び盛りの私は欲望にまみれており笑、それだけでは生活の全てを賄えません。
沢山の業種のアルバイトをしながらも、小さなクラブや、大きなクラブに至るまで月に3.4回のライブ活動を続け、中々目に見えた結果が出ない日々に、悶々としていました。
粉々に砕け散っていった自信。
それでも自身で貫いていた野心。
”私ってなに?”という自分探しになっていきます。
ちょうどその時に活動していたユニットにトラブルが発生し、活動を休止しました。
その時に事務所を変えるですが、海外のモデル兼俳優さんの個人事務所だったので、私は裏方へと回ったのです。
挫折
当時、アーティストとしてまた表に立つということに抵抗があった為、裏方として様々な形態のお仕事に関わらせてもらいました。
そこではさまざまな世界の一流という姿を裏方で見ていました。
アーティストを志す以前から何かを企画し、実行し形にする、そして人を集めるといったことを得意としていたこともあり、マネージメントの仕事はとても楽しかったです。
それらの能力は、間違いなくギャルサーの経験で得た力でしょう。
当時の得たコネクションもあり、ちょいちょいそちらでもお仕事はいただいてました。
そして、エンタメ独特の派手な世界を知りました。
東京では田舎では経験できないような人と出会い、非常にラグジュアリーな経験もできましたし、とんでもない人とも知り合えて新しい世界を知ることはとても刺激的でした。
しかし自身がアーティストとしては出会えない方々と仕事をする度に、心は乾いていきます。”すごい人”と言うのは都会にはゴロゴロいるので、自己肯定感はどんどん低くなり。ちょっとの失敗を責める様になりました。
海外放浪
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挫折をし、自分を知り、音楽を辞めてしまってから心のどこかで、自分は本当は何を求めてるのかを探していました。
これを今の仕事を得て振り返るならば、圧倒的に自身での振り返り不足。
計画性などありません。
ラグジュアリーなブランドや生活スタイルを送ることよりも、貧乏でもいいからもっと心が豊かな生活をしたかった。
あんなに見たかった当時の港区を象徴するタワマンからの景色は、実際に見るとなんだか儚くて切なくて。
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幼少期から歌手になりたかったはずが、その目的こそ達成されても中々ゴールというものを見つけられずに、中途半端にずるずると成果が出ているものや得意な方へ逃げてしまうブレブレの自分。
この空虚感は、何で満たされるのか答えを探しに行きます。
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そして、3年弱海外放浪の旅に出ます。
留学をして語学を勉強しながら、ちょっとOLしてみたり、バーやホテルで歌ったり、今では当たり前となった在宅ワークを、日本の会社と取引きしながら、ちょっとした小遣いを細々と稼ぎながら生きれていた、その日暮らしな自由人でした。
また歌を歌いたかったけれど、アーティスト活動に蓄積した色々な心のブロックで、中々上手に表現出来ずにいました。
音楽を諦めきれないまま最後に行った都市は憧れのNYでした。
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ここで、今後自分と音楽をどういう風にしていきたいかを探しに行きます。短期滞在でしたがネイティブのボイトレレッスンや、ゴスペル協会のアテンド、アポロシアターでのクリスマスコンサートで、5人ほどのゴスペルグループでの参加をしたことで、また歌を歌いたい。NYに留学したいと決めました。
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カフェ経営
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海外から帰国し、NYへの留学の目標ができたので資金を稼ぐため私は鬼のように働きます。
しかし、夢中になっていると自己管理を怠り体を壊します。
割と頑張り屋な性格に火がつき、体に負荷がかかってた事が原因です。
謎の高熱、咳、アレルギーにより体が思う様にいかず、ベットから起き上がれない日々が続きました。
弱っていた身体は追い討ちをかける様に、喉のポリープは悪化。
当時の主治医には歌を歌えるようになるのは厳しいと言われました。(結局その後に何個か病院を変え、治療を続け歌は歌えるまでに復帰しましたが、長時間の耐久性はまだ無いです)
あの時はまるで暗ーい穴に突き落とされたかのような感覚になりました。
仕事を頑張ってた理由の一つは、歌をもう一度一から勉強したいと思いとある大学に留学を決めていたからです。
しかし、歌う為に頑張っていた仕事は、自己管理が出来ずに、体を駆使してしまい、現実問題私は歌うのは無理。ということを突きつけられます。
私は猪野という漢字が苗字なのですが、まさしく猪のごとく突進してたら(笑)自分の体の悪化には気づけませんでした。
そんな時期に体調を戻すため、友人にVeganの食事生活を進められ一旦食生活で動物性のものを辞めていた時期がありました。
身内に、がん患者がいた関係でゲルソン療法について勉強をしていたこと、ハーブや漢方の資格を習得していたこともあることから、植物性の食事がもたらす効果に魅了され、体も軽くなった事でより多くの人に伝えたいと思いました。
海外に行けないんだったら、なんかやってみようと。
ずっと、心が乾いている状態だったので、誰かのためになるような頑張ることが欲しかったのかもしれません。
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そこで、Veganのキッチンカーとケータリングから小さなビジネスを初め、渋谷のシェアカフェに始まり、最終的には企業の投資を受け広尾の20坪ほどのテナントにてVegan専門店を経営・運営しておりました。
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手探りでしたがHPやSNSにはコツコツと地味に取り組んでいたこともあり、当時はまだ少なかったVegan市場の中で、うまいことピックアップしていただきました。
場所も港区南麻布という立地ということも手伝ったのか、TV、ラジオ、カフェ本、雑誌、更には駅の地図の看板にも取り上げて頂けました。
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地元のお客様にも愛され日々頑張っておりましたが、自身の体調も精神的にも限界になっており、中々思うようにいかない経営で決断をしなければと感じ、2年ほどで閉店という決断をしました。
閉店を決めた時には、港区の家の退去を決めていました。
コロナ禍は進み、移住のために申請していたハワイのビザは見送りになり、それでも海の近くに住みたいと思い申し込んだ鎌倉の家も見送りました。
そのタイミングで、業務委託という形で一つのメディアの運用を始めました。そのメディアとはサーフメディアのQUIIVERなのですが、この企画・構築・ライディングは私にとって非常に有意義な時間でした。
そして7ヶ月ほど、地元に帰り在宅ワーカーになります。
この間も飲食コンサルはミニマムにやってはいましたがカフェの閉店から、完全燃焼状態の私は次の自身の課題を探す悶々とした日々でした。
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心優しい家族、可愛い姪っ子と甥っ子。親戚や幼馴染み、友人、に支えられて徐々に元気を取り戻ります。
10代より、勢いで行動し生きてきた私の2回目の療養でした。
正直な事を言うと、挑戦する事に疲れていました。
何をしても涙が出る。やる気が起きない。頭痛がする。寝れない。頑張れないと思ってました。
今思えば、軽い鬱ですよね笑
数ヶ月、療養することでようやく、心も体も元気を取り戻したのでタイミングもあり鎌倉へと引っ越しを決めました。
IT企業
QUIIVERを運用している時、人とのコミュニケーション能力と、ブランディングとマネージメント力、持ち前の行動力を評価してくれたIT企業の社長が会社に入らないか?と声をかけてくれました。
自身のこれまでを振り返ると、ビジネスにおいてのスキルが経験に比べると低かった私は、組織においての社会経験を積みたいと思ってました。
そうして私は2020年11月に今まで未経験だったIT企業に入社しました。
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色んな部署を跨ぎましたが、
社長室、採用広報、広報、マーケティング、インサイドセールス、といったように幅広く担当させていただきました。
会社の広報とは別に、CSRの観点から会社で運営していたサーフメディアとオンラインオフラインの融合コンテスト” KNOT online contest”では初年度の企画・運営・マネージメントとプロジェクトディレクションも担当してました。
アイスリーデザインには業務委託では2年弱、社員としては3年8ヶ月お世話になりました。(アイスリーデザインは2024年7月31日で退職を致しました。)
人生において、会社員で働くことを選択したことがなかったので
いい意味でも悪い意味でも組織とはということについて体感できるきっかけとなりました。
2024年8月〜
実は在職中、喘息発作と逆流性食道炎、帯状疱疹、坐骨神経痛に他にも諸々とやられてしまった関係もあり、しばらくは療養しながらのんびりマイペースに生きていきたいと思ってます。
現在体は回復傾向ですが、今回の発作で肺機能が89歳になってしまい。。。笑 数値を戻すことに必死です。
現在毎日ピークフローをつけながら、他の疾患もあるのでリハビリしてます。
ただ、自分の可能性を広げていきたい気持ちはございますので、いろんな人に会いたいです。
オンラインでもオフラインでもヒューーーっていきますので、お気軽にお誘いください。
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