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初めて人前で歌った自分の曲は"凡人"という歌だった。天才だと思って声を枯らしながら歌った。バンドを始めたのは十代の終わりで、バンドを諦めきれない今は二十代の終わりである。 この連載では、頭を抱えながら過ごしたこの十年を小説のように掘り返しつつ、また、自分だけの日記のようにかっこわるい部分もさらけ出して書けたらと思う。毎週日曜に週間連載で、ありとあらゆることを書いていきたい。
収集欲はあるのだけれど、金がないので諦めている。本当は全集や辞典で本棚を埋めたいし、精巧なフィギュアをガラスケースに並べたい。いつでもその文が手元にあるという安心感や、脳内にある愛すべき造形が常に実際に網膜を刺激するという幸福感は、きっと心の平穏をもたらすだろう。 お金が有り余っているか、人生をかけた収集でない限り、普通2,3を集めて我慢する。しかし、どうにかこの収集癖を満足させたいとの思いから集めているのが、言葉である。 言葉は人を生かしたり、またその反対もあるが
2024年は安部公房の生誕100年ということもあって、新潮文庫で新刊が出たり、夏には箱男の映画も公開された。書店ではコーナー展開されていることも多かった。今更ながら、箱男について書きたい。 箱男は1973年に書かれた安部公房の小説だ。覗き窓のついた段ボール箱をかぶって生活する男の話である。 箱男は何であるか。だいぶ前に初めて読んだときは、覗くという行為の興奮と、匿名の暴力性に注目して読んだ。 今回読み直してみて、人間社会における他者との関係性の破壊と構築というとこ
疲れが溜まったなら困憊するのではなく、compileする方がよい。コンパイルとは集めたり編集するということらしく、コンパイの音から適当に口で転がしていた割には案外今の気持ちに沿っていた。 先週末は久々に都心から離れた方へ自転車をこいだ。全ての間隙を言葉が食い散らかし、意味で埋めつくされた都市から少し離れてみたかった。まるで洗練されていない集客力の低いデザインや、永遠に舗装されない剥き出しの道路。そんなものを愛でたいような気分であった。 しかしまた世の中を憂えている間
今更見た。2013年の映画。Amazonで欲しいものがあり、送料を払うくらいならと1ヶ月だけプライムに入会し、久々に映画でも見ようと思って11年前のこれを選んだ。 詐欺に近い株取引で大金を稼いだ男、ジョーダン・ベルフォートの伝記。セックス、ドラッグ、セックス。ぶっ飛んだ生活が描かれていたが、けっこう事実もあるらしい。羨ましくもあり、恐ろしくもある。金にまみれると脳の閾値がおかしくなって普通の刺激では何も感じなくなってしまうようだ。 自分は今、日中の労働で、高級なマン
エアコンって一体誰が作ってくれたのかと気になって調べてみると、印刷会社から湿度を下げる機械を頼まれたウィリス・キャリアという人が作ったものがその原型らしい。それは20世紀初頭のことで、わずか100年ほど前である。人類は歴史のほとんどをエアコンなしに過ごしてきたらしい。近年の暑さを思うとちょっと信じがたい。 昔は寝る前に1時間か2時間の切タイマーを設定していたが、上京してから夜通しクーラーをつけている。家を出る時だけクーラーを切るという贅沢な使い方をしてしまっているのだが
スタンドという2ピースロックバンドを組みました。長くなりますが読んでください、と云う文章があまり好きではないのでできるだけ簡潔に書きたいと思います。 ギオンという3ピースバンドを今年の頭から動かし始めていましたが、それは頓挫しました。解散という言葉を使わないのは、それを使うに値するほどの活動をまだできていなかったからです。 思えば解散という言葉をつかったのは2020年のGOZORO'Pの時だけです。自信を持って活動していました。 それ以降の頓挫は10以上ありまし
悪口を書き込んでいる人を見て、こいつらは何の役に立つのか、と書き込む人もまた同様の場合が多く、そしてこれを書いている自分もいつの間にかのマトリョーシカである。いつの間にかのマトリョーシカって語感がいいなと思いながら書くこの文章もまた同様であって、これ以上書くことはなく、以下はリュウジのバズレシピを無断転載した方がいくらか世の中の役に立つかもしれない。 役に立つ立たないなどといちいち考えるのは資本主義社会が生み出した一種の脅迫観念であって、本来はどういう形であれ今日を生き
朗読CDで聞いて、また羅生門を読み返した。「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」ところ、羅生門の上で死人の髪の毛を抜く老婆を見つけ、はじめは問い詰めていたが、最終的に彼女の着物を奪いどこかへ消えていく話である。 高校の授業でどういう読解をしたか忘れたが、今の自分には貧しさと懲罰欲というテーマが浮かぶ。それは昨今のSNSの荒れ方と非常にリンクする。 羅生門の世界は荒廃した京都であり、下人も老婆も金がないからこんなことをして、不必要に揉めている。
追い焚き途中の風呂のような、空調の空気と地上の空気が混ざった空間を感じながら目的地へと急いだ。これは仕事であり、お金をもらうために支払う対価であり、そしてそれで衣食住をととのえて日常を送るためである。 あまりの暑さにくらくらしながら、俺は俺がどこへ向かっているのだかわからなくなる。一歩一歩が鉛のように重くはならないのだけれど、重くなったならばどうしよう、と考えながら一歩一歩と足は勝手に進んでいる。頭の中の思考が充満する。意識と無意識の違いがわからなくなってきて、全ての境
小学四年生くらいの男の子3人が住宅街にある小さな公園に朝から集まっている。1人はブランコに揺られて、1人はそばで立って足を遊ばせて、1人の子が操作する携帯ゲーム機の画面を覗き込んでいる。 そんな8月8日の風景を眺めながら、自分の視界はいつしかその戯れの中にいる子供らと同化する。彼らがどのような気分でその木陰を感じ、夏を感じ、また未来というものを感じていないかを自分は知っている。 厳密にはきっと多くのものは悲しいくらいに変わっているのだろうけれど、自分にはその夏の風景をす
iPhoneの電源を消してみる。ただの金属とガラスの物体である。 光のないiPhoneを見ると行為としてはそれを指でこすっているだけであることに気づく。しかし電源を入れてそこに文字や画像が浮かび上がると笑ったり怒ったりして巨大な金が動いたり、人が消えてしまったりするのだから不思議だ。 かといって僕は平成初期の生まれであって、電子機器を嘆く世代ではない。ゲームボーイアドバンスSPの発売が発表された時、コロコロコミックの「どこよりゲーム天国」の紹介で、画面が光るから布
都知事選が終わり、石丸構文が話題である。自分は好きでも嫌いでもない。わからない。善か悪か判断がつかなかったので今回は票もいれなかった。 なぜ人気なのかと考えてみると、何も言っていないからだろうという結論に至った。 明確な意見を言うと敵を作る。敵を作らないために何も言わないとなるとそれはそれで問題になる。 そこで何も言わずに何かを言っている風にするために自然と生成されたのが石丸構文であろう。 選挙前はそれが何か見えなかった。なんかやってくれそうというイメージだけが
正しい人生を歩もう。過去にも未来にも一度も罪を犯さず、豊かな毎日を繰り返して清潔な病院で生涯を閉じよう。という価値観が良いか悪いかはわからない。正しい生活の中に、美味いもん食いたい、好みの異性と過ごしたい、とかもある。異性というと適切でなく、好みの人間と言うべきか。 あらゆるストレスが世の中から消えたら人は幸せになるのだろうか。嫌いな人間がいない世界の中で好きな人間に出会えるのだろうか。わからない。 正しい生活とは、結局は頭の中にある矢印のことな気もする。人間は働か
上京してきて2年。初めて投票する都知事選。 投票行動は毎回きちんとしていこうと思うが、政治に熱い思想があるわけではない。政治の動きを毎日監視するような暇があれば、自分の頑張りたいことを頑張った方がよほど速く確実に生活が変わるし、その方が結果的に国全体に良く、そしてまたそれが個人にとっても良いというところにかえってくる。完全な政治などなく、利害調整でしかない。 それにしても立候補者多すぎ。一応真面目に公約や政見放送を見て決めようと思ってるのにめんどい。今はSNSがある
三島由紀夫/石原慎太郎「三島由紀夫 石原慎太郎 全対話」 中公文庫2020年7月22日発行 272ページ 三島由紀夫が亡くなったのは1970年で、平成生まれの自分にとっては歴史の人という感覚だった。子供の頃からテレビでよく見かけた石原慎太郎とは八歳しか違わないが、この対談を読むまでは全く重なることのない二人であった。 二人は共鳴するところもあるがその人間的な性質や方法において対照的である。この対談を読むと石原慎太郎の頑固さや三島由紀夫のコンプレックスが二人の表情と
ドラえもんの誕生日は2112年9月3日だ。あと88年。22世紀はいつの間にかお爺さんを一人置けば届くような距離感になっていた。 実家にはドラえもんが全巻ある。子供の頃から何度も読み返した。2年前上京する時に漫画は一冊も持ってこなかったが、もともと自分の中で読むという行為のはじめにあったのは漫画であった。 なぜこんなにも今ドラえもんが読みたいのか、わからないままヨドバシのオンラインショップで漫画を探す。コミックスの表紙を見ただけで、自分が気に入っていた巻数が感覚的に思