6月17日
目が覚めたら時計の針は朝10時を指していた。一瞬ひやっとするもすぐに仕事が休みであることを思い出し安堵。束の間の二度寝を試みるが時間に縛られない日に限って目が冴えてしまうもので、結局体を起こして近所のカラオケ店に向かった。「10:59までに入室で室料10円」という謳い文句に躍らされ息を切らしてまで駆け込んだものの、店員曰く「ドリンクバー代500円がかかりますので、11時まで待っていただいた方がお安いですよ。」とのこと。どうやらわたしは無駄に寝起きで走っただけの人になってしまったようだ。
毎日毎日こんなことばかりだ。「普通に」生きたいだけなのに、トラップだらけの街で無様に空回ってばかり。わたしにとってカラオケボックスはそんな現実から目を背けられる空間だった
一人で歌い続ける90分間はすごい速さで過ぎ、気づけば退出時間まで残り2分となっていた。ひとときも無駄にしたくない一心で予約したラスト一曲はandymoriの「すごい速さ」。1分26秒。
今まで歌詞をよく聴き込んでこなかったからだろうか、普段カラオケで歌わないからだろうか、7~8年は聴いている曲なのにある一節がやたら新鮮に思えた。
そのセンチメンタルはいつか お前の身を滅ぼすのかも知れないよ
感傷中毒の患者 禁断症状映画館へ走る
わたしのことを歌っているのだと思った。わたしにとってはヒトカラがまさに禁断症状だ。今までそのキャッチーさやユニークなMVが好きで聴いていた曲がここにきて初めて「自分の歌」になった。
それなのに、だ。続く歌詞が孕む「若者らしい」有り余る熱は、無情にもわたしを突き放した。
でもなんかやれそうな気がする なんかやらなきゃって思う
だってなんかやらなきゃできるさ
どうしようもないこのからだ 何処へ行くのか
わたしには、なんかやれそうな気なんてひとつもない。そんなものは全て大学生活を過ごした何もない町に捨ててきてしまった。今はただ、「このまま何もない毎日を繰り返して死んでゆくのかな」なんて、ぼんやりと考えながら電車に揺られる毎日だ。
「すごい速さ」リリース時の小山田壮平は今のわたしと同い年、24歳。人生を達観したフリをしてごまかしごまかし生きている自分がちっぽけで恥ずかしく思えた。これが「大人になること」なら、ちっともなりたくなんてなかったよ。
そもそも音楽を一旦辞めた昨年はあんなにも「一年だけ我慢、一年だけ我慢…」って自分に言い聞かせて生きていたのに。その一年が過ぎた今、再び始めることに対してとてつもなく腰が重いのだ。
わたしは自分が音楽をやらずとも生きていられる冴えない凡人であることがどうにもこうにも許せない。歌が下手でも楽器の技術が無くてもいいから音楽無しでは生きられない人間でありたかった。音楽の無い人生をギリ全うできてしまう、こんな中途半端な器用さは要らなかった。
今年の夏もすごい速さで過ぎるのだろうか。
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