inori
わたしのなかのわたしの真理
わたしと着物
衣にまつわること
大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに 謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに より良きことができるようにと、病弱を与えられた 幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと、貧困を授かった 世の中の人々の称賛を得ようと 成功を求めたのに 得意にならないようにと、失敗を授かった 人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに あらゆることを喜べるようにと、命を授かった 求めたものは一つとして与えられな
❀ 春の桜の蕾みのように… ❀ じっとしていられなくって 自転車漕いで隣町へ またその隣の隣町へ ペダルを踏む足は軽やかで 希望に満ち溢れてる そんな学生時代の春休み 十五年前に遊歩道のある町に移り住み この遊歩道の桜は 毎年見事な花を咲かせます ❀ うちにうちに集中し こつこつと重ねてきた この一年 その成果を携えて 羽を思い切り広げたい
邂逅がもたらす刹那と永劫
前回、である調で書いてみた記事。 どうだったかな。 ですます調って書きやすいけど、 なんとなくよそよそしくて 文章にも締まりがない気がする。 である調はなんとなくらしくない。 ということで、今回は語調に挑戦! さて、本題 周りにスピリチュアル迷子がたくさんいて。 セッションとかコンサルとか 自己啓発とかヒーリングとか… 次から次へ そんな子をたくさんみて来て思うのは あなたを癒せるのは あなた自身でしかないということ。 その手を誰かに差し出すのではなく そ
これまでに専門の人に相談するようなこと(呼び名がでてこない。セッションとか鑑定とかかな…)をしたいと思ったことがない。 二度ほどお付き合いで体験版をしたこともあるが、聞きたいことを尋ねられても何も浮かばず、結局はわが身に起こった出来事を聞いてもらうこととなる。これはこれでありがたかった。 最近クラブハウスでこのような場をよく見かけるので入室し、皆が何を聞くのかじっと耳を澄ませること数日。 「あぁ、こういうことを聞けばいいのか。ではわたしも聞いてみよう」 とそっと待って
身体の調子が悪く(実際に悪い) 医師のような方に相談に行くと 場面は夜になり 天には月が浮かぶ この地球からみるより何倍も大きな月 神々しく光る月 投影されてるのか 内から浮かび上がるのか 身体・腿に 月が浮かび上がる 満月のような青白い半透明な月が 腿にみっつ不揃いに並んでる そのみっつの月を 少しずつ重なり合うように 真っ直ぐに等間隔に調整 半透明の月が重なるさまが美しい しばらくすると月はまた 不揃いに戻ってしまう それをまた医師のような方が 調整してくれる
覚書 場所は布衣風衣 最初は高機ばかりのいつもの部屋 わたしはしもつふさ学舎のFBページのネタのため、使った高機を写真に収めようと探す。 何度探してもない。 時が経つにつれ、高機は木製のピアノ 木製の自転車、鏡台などの木製のなにかに姿をかえる 織りの先生もいつの間にかほかの方と姿を変えている でもわたしにとってはいつもの先生という認識 なぜか先生にカッピングされている人がいる わたしもやりたいと名乗りでる やってもらったのはカッピングではなかった(他のなん
さぁ、今だ! 空を目がけて羽をのばして飛び立った 早く上へ もっと早く上へ上へ!! ・ ・ ・ 足をつかまれる 引き戻される あぁ… 間に合わなった… で、目覚めた深夜 平気だ 大丈夫だ と奮い立たせて来たけど 潜在意識はこんなんなんだね 今日は星空をみる会✩ 晴れ♡ 抜けるよう青空! バンザイ 2018/04/28 7:56
七月七日、晴れ 空と星と海と が大好きなわたしに長男が教えてくれました 「お母さん 今日は七夕だけど 晴れてるね」 って 写真は数年前の家族旅行で行った 慶良間諸島 座間味・阿嘉島 空を見上げると、天の川 2017/07/07 8:05
ハレクリシュナを唱える頃に白々と空が明るくなり始めていた清明の頃 立夏を迎えた今では開始時刻にはすっかり青空が広がるようになりました。 ヨガ、呼吸、マハマントラ、ヴァガバッドギータで心身を調え 最後に先生から問答の贈り物、二十七の問答をやりきりました。 清々しくひと月が過ぎ、嗚呼、明日は最後の問答だな そんな思いが自然とわき、嗚呼、明日が最後なんだと知りました。 「今日、なにを食べたいですか?」から始まった二十七の問答を公開します。 いつかの問答~本日のしつもん
ハレークリシュナ ハレークリシュナ クリシュナ クリシュナハレーハレー ハレーラーマ ハレーラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレー この16節からなる音の揺らぎを奏でる 「ハレー 」苦しみの原因を取る・承認・外に向かう心を神に向ける・愛のエネルギー 「クリシュナ」すべての存在と歓びの源・無限の歓びの泉 「ラーマ」超越的な歓び・いつもそこにある歓び・私たちが普段繋ぎ合わせている歓び、外にある一時的で失われる歓びでなく
真我と経験の混沌 経験は澱となり 真我と分かたれた 澱を流す時が来た
たくさんの踏ん張りを目にしては涙…
マクロの視点から見る関わり方について、言われなくてもわかる。そんなのはわかりすぎるほどわかるんだ。だけどもだからって、変わらずいつも通りに過ごすこととは違うはず。
きっとこのたたかいは長くなる その相手はわたし自身なんだ 「己の影を抱きしめて」
集団意識に惑わされないで