散文
私の良いところは、真面目であるところ。音楽への愛が深いところ。言葉を大切にしているところ。まつ毛が長いところ。何かを長く続けられるところ。好奇心旺盛なところ。考えまくるところ。これは自分から見た自分の良いところ。
この中からひとつ、けっこうすごいんじゃない?って思える私の良いところは"何かを長く続けられるところ"。
中学2年生の時から毎日日記を書いている多分もうすぐ10年目になる。あとは中学3年生の時からベースを弾いている。バンドも解散と結成を繰り返しつつも高校1年の時からなんだかんだで続けている。あとは1年間毎日好きな曲のタイトルのロゴを作り続けたこともある。このnoteだって3年か4年経っている。大学に入学してから始めたアルバイトは卒業するまでの4年間続けた。
でも、私はこの継続力のおかげで今とても良くない状態なのかもしれない。好奇心旺盛な私は何事も興味を持ち何かを始めてしまう。最近はコント台本を書き留め、毎月新聞を発行するぞと息巻いている。今年の春から社会人+ひとり暮らしを始めたというのに。なのに私は継続力があるので、どれもやめることなく続けてしまっている。その結果、家事もやり、ベースを弾き、コント台本を書き、新聞を作り、バンドの曲を作り、8時間仕事に行く。精神が崩壊しかけている。とても元気な時はあるが、元気と元気じゃないのローテーションが早まり、しかも元気が短くなり元気じゃないが深く長くなった。
じゃあ何かを手放せば、と誰かに言われた。それが出来ないのだ。大好きで楽しくてもっと頑張りたいことばかりだから。だから両手がいっぱいになる。なのに仕事は8時間もあって、帰ってからヘトヘトの頭と体で鞭を打って両手いっぱいのものを精一杯抱きしめるのだ。こんなことを繰り返していたら、本当に精神がダメになってきていてすぐに泣いてしまうようになった。だけどと言って、じゃあその何かを手放すことができない。それが大人になることだよ、そういうのを受け入れることが大事だよ、と大人達は言った。私も大人の年齢だけど、もっと大人の人たちはそう言うのだ。でも私はそんなこと受け入れたくない、諦めたくない。ちゃんと大事なものは大事に取っておきたい。私は私の宝物を絶対に手放したくない。じゃあ、どうするの?と聞かれると困ってしまうけれど。それでも手放したくない。まだ好きなことやりたい事をやりたい。甘えとか子供だとか言われても、それでも。
そういえば私のことを良く知るひとりは、私の部屋に来た時にそれなりに整った部屋を見て「なんか頑張っているね、ひとりで生活できると思っでなかった」と言った、もう1人の私のことを良く知るひとりは「あなたはひとりで生きていける人間じゃない」と言った。どちらも同じことを言っていて、あなたはひとりで生きていける人間ではないのだと言っているのだ。それを頑張ってるねと褒めたのが前者で、突きつけたのが後者だ。どちらも、言った本人らしいな、と思う言葉だ。
今、両手いっぱいの宝物を落とさないように生きているのに、そこに8時間の労働、ひとり暮らしの家事がのしかかっている。おまけに私はひとりでは生きていけないタイプの人間なのだと言うのだ。これは参ったな。でも何もなくしたくないのだ、こんな私の性格でさえも。私はきっと誰よりも私のことが好きなのだ。私のことを大切に思い、私が好きなことをたくさんすれば良いと思っている。そして、もし私が宝物や自分自身を手放す時が来たら、きっとそれは異常事態で私は私を見失ってしまうだろう。
私はまだ何も失いたくない。受け入れたくない。諦めたくない。いくつもの宝石を抱きして、腕の中いっぱいのキラキラを持って歩いていきたい。それだけなのだ。そしてその先、キラキラをなくさないように健やかに生きていけたらと思う。
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