『コンテンツ・ボーダーレス』グローバルなコンテンツビジネスは創業者が社長の場合が多い(業界の歴史)
世界各国にいる韓国コンテンツのファンは2021年時点で、1億5,000万人程度と推定されている。2016年に調査した結果では5,000万人程度だったので、5年で3倍になったことになる。特に、アフリカ中東地区ではこの10年間で130倍、アメリカで22倍、ヨーロッパで13倍と成長著しい。著者は、どの国にも個性があり、コンテンツを作る上で最も大切なものは、自らのアイデンティティーを持つことだと言う。例えば、韓国のコンテンツは米国と似ていて、日本のコンテンツの雰囲気はフランス映画に似ている。しかし、フランス映画には哲学や思想をテーマにする作品が多いが、日本のコンテンツには暮らしや生きたかなどが細かく描写される物が多い。
韓国コンテンツの歴史は以下の3つのフェーズで捉えることができる。
1990年代)グローバルコンテンツの萌芽
1990年代は、韓国の3大芸能事務所である「SJエンターテインメント」、「YGエンターテイメント」「JYPエンターテイメント」の前身となる会社が創設された。1997年の香港の中国返還をトリガーに、香港映画の多くの俳優や制作資金が台湾やアメリカに流れたことがきっかけで動き出したのが韓国だ。そして、コンテンツやカルチャーがグローバルにビジネスになることに気づき、海外進出に力を入れるようになった。
2000年代)日本市場での成功
2001年にBoAが日本デビュー、2003年に「冬のソナタ」がNHKで放映され、韓流ブームが到来した。この時期の韓国コンテンツの戦略は、徹底的な現地化だった。日本で売るために、日本に居住し日本語を学び、日本語で楽曲を歌う。このように、SNSが発展途上だった2000年代は、現地化することでしか成果が出せなかった。
2010年代)世界規模の躍進と脱マスメディア
日本での成功で自信が付き、アメリカでの成功が不可欠と考えるようになる。2012年に李明博大統領が竹島に上陸、THAADの配備で中国との関係が悪化したことが、脱マスメディアを目指すようになり、コンテンツ流通がSNSにシフトした。
グローバルなコンテンツビジネスは、みんなが同じプラットホームを使っているので、何かが流行るときは、例えばアメリカで流行って、それが日本や韓国に来るのではなく、ドカンと同時に流行るのである。しかも、コンテンツはプロのクリエイターが作る、という考えも古くなる。
グローバル・コンテンツビジネスで面白いのは、最も韓国らしいものが最も世界的なものになるという点だ。『Time』誌によると、1960年代はビートルズ、1970年代はエルトン・ジョン、1980年代はマイケル・ジャクソン、1990年代はニルヴァーナやマライア・キャリーが時代を代表したように、今のBTSは時代を席巻している。世界のコンテンツビジネスは今後も右肩上がりで、特にインドと東南アジアの市場が高い成長率を見せている。
最後に韓国のコンテンツビジネスの特徴は、代表が創業者の会社が多い。なぜなら、彼らはスタートアップの感覚を持ち、片腕に財務判断やグローバル戦略を考えられるCFOを迎え、我々が世界を変えてやるんだという気概を持っているのである。