『やさしい日本語 多文化共生社会へ』スティーブン・キングも「小説作法」で同じことを主張している(環境研究)
自分の考えを日本語で正しく伝える能力は非常に大切だ。外国語の能力よりそれは大切だ。現在の日本には日本語を学ぶ外国人の人も多く住んでいる。したがって、誰でも明確に分かる日本語は多文化共生社会の必要条件のひとつになる。
阪神・淡路大震災では、6000人以上の人がなくなり、4万人以上の負傷者を出したことは記憶に新しい。しかし、関西に住んでいた外国人は、日本語と英語以外ではきちんとした情報が発信されなかったことから、震災後の復旧過程で必要情報が入手できず、二重に被災してしまったことはほとんど知られていない。その後、緊急時に必要な情報をやさしい日本語としてアナウンスする方策が以下の例のように研究された。
原文)今朝5時46分ごろ、兵庫県の淡路島付近を震源とするマグニチュード7.2の直下型の大きな地震があり、
言い換え文)今日、朝、5時46分ごろ、兵庫、大阪、などで、とても大きい、強い地震がありました。
また、「やさしい日本語」では、主語が不明瞭になる受け身文を使うことを避けるべきだとしている。英語でもU.S.Securities and Exchange Communication(1998)などでもこのことは指摘されている。
最近読んだ本であるスティーブン・キングの『小説作法』には、文章に必要なものは名詞と動詞しかない。受動態は主語が手も足も出ないので避けるべきだ。副詞は、自分の表現が曖昧で、言いたいことがよく伝わらないのではないかと恐れる書き手の迷いだとある。アーネスト・ヘミングウェイやジョン・スタインベックの一文を例にして簡潔明瞭な語彙の分かりやすさを示している。
「彼は河に行き着いた。そこに河があった。」アーネスト・ヘミングウェイ『二つの心を持つ大河』
「一部の土地の所有者は、自分たちのするべきことを嫌って親切だった。何人かは無慈悲にふるまうことを嫌って怒った。また何人かは薄情でなくては所有者になれないことをつとに悟って薄情だった。」ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』
日本語であれ、英語であれ、自分の伝えたいことを簡潔明瞭な文章としてまとめる能力は、多文化共生社会の必須能力であることを学ぶことができた。また、本書の注意書きに、阪神・淡路大震災だけでなく、熊本地震でも被災外国人の苦悩があったことが紹介されていることから、「わかりやすい日本語」の意義は、まだまだ伝わっていないのが現実だということも理解できた。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。