『日本テクニオン協会と4つの組織』(旅をする)
イスラエルから技術シード(特にアーリーステージ)を獲得したい人にとり、イスラエルの研究機関とのルートは非常に重要になる。
ちなみに、イスラエルの主な研究機関は以下の5つがある。
テクニオン工科大学
ワイツマン研究所
ヘブライ大学
テルアビブ大学
ベングリオン大学
現在、日本に窓口となる組織が存在するのはテクニオン工科大学だけだ。過去には上記の5つの研究機関の窓口がすべてあった。その経緯を知っている人が少なくなってきたので、以下にまとめておく。
1980年代、イスラエル外務省の仕立てで「日本文化人代表団」という観光旅行が企画された。日本文化人代表団は「山本七平、小室直樹、糸川英夫」の3名で、各人とも日本では「変わり者」と言われる人たちだ。その後、糸川英夫氏はイスラエルのハイテク視察を目的に単独旅行をした。
そこでの出会いが『荒野に挑む』(ミルトス刊)に以下のように記述されている。
そこで、糸川英夫氏は1985年5月19日に「日本テクニオン協会」という組織を作った。
(テクニオン協会は世界中のユダヤ人の支援により、アメリカ、フランス、英国、カナダ、ドイツ、スイス等々に30組織ほどあり、あのアインシュタインも会員だった)
その後、テクニオン以外のイスラエルの研究組織に口コミで広がり「日本ワイツマン協会、日本ヘブライ大学協会、日本産業人テルアビブ大学協会、日本ベングリオン大学フレンズ・ジャパン・チャプター」と4つの組織が出来上がり、日本とイスラエルを結ぶ「糸」は5本に束ねられた。
これらの5つの協会の事務局だった池田眞氏は、現在「日本イスラエル親善協会」の代表理事副会長だ。
当時20代の私は、糸川英夫氏のシンクタンクが主催する組織工学研究会の名古屋の事務局員だった。そこでこれらの5つの協会ができたことを知り会員となり、ほぼ毎日郵送されるイスラエルのハイテク情報を漁るように読み、毎年行われる「産業人イスラエル・ハイテク視察ツアー」に2度ほど参加したのがイスラエルにつながる最初のきっかけだった。
しかし、日本側のリーダである糸川英夫氏が1999年2月21日に亡くなったことで、この5つの組織は有効に機能しなくなってしまった。
聖書の国であるイスラエルは魅力ある観光地なので、日本側の物見遊山的な観光ツアーもいいのだろうが、イスラエル側の5つの研究機関は自分たちの研究成果を評価し、投資をしてくれる企業や人、日本などのアジアマーケットに展開してくれる企業や人を求めている。
残念ながら他の4つの組織、日本ワイツマン協会、日本ヘブライ大学協会、日本産業テルアビブ大学協会、日本ベングリオン大学フレンズは現在まで誰にも引き継がれることがなく、糸川英夫氏の死去とともに「糸」が切れた状態になっている。
第1次インティファーダ、第2次インテファーダを経た現在のイスラエルの技術シードを、日本企業がアクイハイヤーすることが日本企業のグローバル展開に極めて重要だ。