『不条理を乗り越える: 希望の哲学』助かりたければ達観し底まで沈め、すると希望しかない(逆境は成長のルーツである)
不条理と理不尽は違う。理不尽とは誰かによって引き起こされることで、理が尽くされていないことを意味するため、まだなんとかなる余地がある。しかし不条理は、最初から理屈を超えた状況で、私たちは理屈以外の何かでそれを乗り越えるしか方法はない。コロナ禍により、格差や不平等、さまざまな問題が表出した。変えることのできない不条理の中で、どうやって生きていえばいいのかを哲学的に考察したのが本書だ。
哲学的には、不条理には3つの立場が提起できる。
1)超然と受け入れる シューペンハウアーのペシミズム、キルケゴールの不条理哲学
2)徹底的に反抗する カミュの反抗こそが不条理を乗り越える実存主義
3)前向きの乗り越える 誰かのせいにするのではなく、他者と連帯し乗り越える
そして結論として、「リア王」のセリフ、「どん底に落ちれば、笑いが蘇る」を不条理に対する新たな達観だとしている。小川仁志氏はこれを「笑去主義」とし、第4の選択だとしている。つまり、不条理とは、どうしようもない悲しいことであると同時に、もうどうしようもないからこそ、滑稽な状態なんだと達観することで乗り越えれるとしている。そして、リア王のごとく達観し、大いに笑おうではないか。どん底の先には希望しかないのだから、と締めくくっている。
本書は、哲学者の名前と解説を列挙し、哲学的に考察しているように見せているが、結論は人間が生きるために、昔から身につけていた知恵を披露したとも言える。人が楽天的であるためは、一度、奈落の底に落ちてみることが必要だと表現する人もいる。要するに、助かりたかったら底まで沈めということだ。
ここでは、パンデミックとして不条理を語っているが、日本における一般の中小零細企業のほとんどは、コロナ禍で生き延びるために必要だったゼロゼロ融資42兆円の反動が待ち構えている。これぞ誰のせいにもできない不条理だ。助かりたければ、再起したければ、リア王のように、どん底に落ちたとしても、その先には希望しかないと達観することが必要だ。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。