立川談志の『芝浜』は聴いたことがあるが、『文七元結』ははじめて聴いた。そのストーリーは次のとおり。
談志の悩みは「長兵衛は50両をなぜ文七に差し出したか」という点だ。それには理由が必要になる。談志は「江戸っ子だから」という理由から、文七に渡すという偽善者っぽくない理由を選んだ。落語の最中にも関わらず、談志は腑に落ちていないことを語る。
一方、古今亭志ん朝は、文七の正直さ、まっすぐな生き方に長兵衛が心を動かされたためとした。
この2人の対比関係は有名だが、談志は明らかに落語のイノベーターで、古今亭志ん朝は落語の伝統の踏襲者だ。この関係は談志の落語に対する考えを昇華させた。人間のどうしようもなさを肯定することで、救いをもたらすのが落語だというのである。
同じ落語をテーマに聴き比べてみると実に面白い。落語そのものも面白が、2人の違いから、自分の生き方を照らしてみることができる。