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『文七元結』立川談志 VS 古今亭志ん朝

 立川談志の『芝浜』は聴いたことがあるが、『文七元結』ははじめて聴いた。そのストーリーは次のとおり。

 だるま横丁の左官の長兵衛。ウデのいい職人だが、博打にハマって借金を抱えている。冬の夜道、今日も博打に負けて、着物をとられてしまってはんてん一枚で貧乏長屋へ帰ってきた。娘のお久がいない、どこを探してもいないと女房。   
 そこへ、吉原の大店おおみせ、佐野槌さのづちから使いがやってきた。お久はそこにいると言う。長兵衛は着物がないので女房の着物を着て、佐野槌へ。逆に女房は、長兵衛のはんてん一枚。
 佐野槌で長兵衛は、女将から話を聞かされる。お久は自分を売って金をつくろうとしたのだ。長兵衛の博打の借金を返し、また長兵衛が仕事に精を出すようにしたかった。
 お久の真情に心を動かされた女将は、長兵衛に説教した上でを貸す。長兵衛が来年の大晦日までに五十両返さないと、お久は店に出されて、客をとる。
 五十両を懐に抱えたその帰り道、長兵衛は吾妻橋で身投げしようとする若者、お店たなの奉公人、文七に出会う。文七は売掛を回収した五十両をすられてしまい、絶望のあまり大川へ身を投げようとしていた。文七は身寄りがなく、五十両を貸してくれる人などいないと言う。
 文七は死のうとするこの若者を助けたいが、さりとて五十両を渡してしまえば、お久を返してもらうことが難しくなると悩むが、死を前にした男を救おうとハラを決め、文七に五十両を渡してしまう。
 長兵衛は、この金は娘が吉原に行って必死の思いでこしらえたものであるということは、文七に話したが、自分のことは名乗らなかった。
 鼈甲問屋・近江屋卯兵衛と番頭が店で待ちわびている。文七が帰ってきて、回収した五十両を差し出す。驚く卯兵衛と番頭。
 五十両は、相手先の屋敷で碁に誘われ、それに夢中になった文七が碁盤の下に忘れてしまったのを、相手先の使いが届けてくれていたのだ。文七の打ち明け話を聴いてさらに驚く卯兵衛。
 五十両を出してくれた吉原の大店は佐野槌に違いないと目星を付けた。翌朝早く、番頭は早速、佐野槌へ。卯兵衛は文七を連れて長兵衛の長屋を訪れた。卯兵衛は長兵衛に五十両を返そうとする。
 いったん人にやったものは受け取れないと渋る長兵衛に、なんとしてもとあたまを下げ、受け取ってもらう。
 さらに角樽と酒二升の切手を礼として差し出す。そして、肴としてお気に召していただければ、と言いながら外に声をかけると、そこに美しく着飾ったお久が姿を現した。
 卯兵衛は佐野槌からお久を身請けしたのだ。はんてん一枚の女房も衝立の後ろから飛び出してきて、抱き合って喜ぶ親子三人。
 のちに文七とお久は結ばれ、麹町で“元結”の店を開いた。

古典落語を紹介

 談志の悩みは「長兵衛は50両をなぜ文七に差し出したか」という点だ。それには理由が必要になる。談志は「江戸っ子だから」という理由から、文七に渡すという偽善者っぽくない理由を選んだ。落語の最中にも関わらず、談志は腑に落ちていないことを語る。
 一方、古今亭志ん朝は、文七の正直さ、まっすぐな生き方に長兵衛が心を動かされたためとした。

 この2人の対比関係は有名だが、談志は明らかに落語のイノベーターで、古今亭志ん朝は落語の伝統の踏襲者だ。この関係は談志の落語に対する考えを昇華させた。人間のどうしようもなさを肯定することで、救いをもたらすのが落語だというのである。

 同じ落語をテーマに聴き比べてみると実に面白い。落語そのものも面白が、2人の違いから、自分の生き方を照らしてみることができる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。