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『文系の壁 理系の対話で人間社会をとらえ直す』フィンランド症候群

 タイトルから理系と文系の違いを養老孟司さんとの対談でまとめたもの、と思いきや、最初の対談者である森博嗣さんの対談だけが、それが軽く議論になっているだけだった。工学博士である森博嗣さんによると、工学部は文系的な人が多く、理学部ほど理系的ではない。医学部、薬学部、農学部も工学部に近く、理学部のように「どうしてか」をまず考えて「どうしようか」を後回しにするのではなく、理由はわからなくても「どうしようか」を考える。文系の人は、自分の分からないことを言葉で解決しようとする。しかも、前提の吟味をしない。例えば、憲法はどんな前提から作ったのかと吟味はしない。理系と文系の違いが語られているのはこれくらいしかない。

 その他、雑談からの以下のトリビアは参考になった。

 疫学の統計で、フィンランド症候群とか不良長寿というエピソードがある。フィンランド保険局が、40歳から45歳の上級管理職600人を選び出し、健康管理を行うように細かく指示した。同職種の別の600人には、ただ定期的に健康調査票を記入するようにして、15年後の結果を見ると、後者の健康管理していないグループの方が、心臓血管系、高血圧、がん、各種の死亡、自殺者の数が少なかった。要するに、好き勝手させておくとストレスが少ないので、長生きするということだ。

 リチャード・ドーキンスによる「進化を通じてずっと生き残ってきたのは遺伝子だ。したがって、人間は遺伝子の乗り物だ」という考えはめちゃめちゃだ。ルドルフ・ルードヴィッヒ・カール・ウィルヒョーの「すべての細胞は細胞から生じる」が正しい。細胞は40億年以上前からずっと分裂し続け、一度も途切れたことがない。細胞という観点からするとあらゆる生物は、天王星と同じく、万世一系と言える。

 iPS細胞のような再生医療の研究はやがて行き詰まる。生物の発生時に起こるタンパク質の相互作用は非常に複雑で、一人の人間が理解できる限界を超えている。その複雑さを再現できないことから、ある現実をそのまま利用したほうが早いということになり、原理を追求する方向にない。それでは、どこかで行き詰まる。山中さんの仕事は、コシヒカリを作ったり、サラブレッドを作ったりするのと同じ「育種」であって、物理化学的な厳密性で分かっている訳ではない。

 内容は養老孟司さんの対談集であって、理系文系の違いの話は少ししかないので、タイトルと中身の不一致を感じる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。