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「女の答えはリングにある 女子プロレスラー10人に話を聞きに行って考えた『強さ』のこと」尾崎ムギ子(イーストプレス)


悲願だった初めての著作を出したはいいものの、燃え尽き症候群で書く熱意を失った女性ライター・尾崎ムギ子。
その尾崎のもとに女性編集者・黒田から「あなたにまた書いてほしい」という依頼が届く。
「今は文章を書きたい気持ちがない」と断る尾崎に黒田は提案する。
「往復書簡をしましょう!私も文章書くので、お互いのやりとりをウェブで配信しましょう。仕掛けても、受け止めても、反撃してきてもいいです」
プロレスに例えられたところで尾崎の心が動き、二人の手紙のやりとりが始まることになった。

しかし二人のやりとりは「原稿を書かせたい編集者」と「書く意欲を失っているライター」という互いの立場から徐々に離れ、相手の生身に近づこうとした結果「わたしはあなたのことがわからない」という叫び合いの様相を見せてくる。

開いてしまった心の距離を溝を埋めようと、二人は一緒に女子プロレスを見に行く。
2021年3月、スターダム日本武道館大会。
敗者髪切りマッチとして行われたジュリアvs中野たむのメインイベント、敗れたジュリアが客前で髪を切られ丸坊主にされていくのを見て、二人は大きく感情を揺さぶられる。
そして関係に変化が生まれる…。

二人の往復書簡と関係の変化、その合間に『強さとは何か』をテーマに10人の女子プロレスラーへのインタビューが挟まれ、『女子プロレス』を媒介にして「女性の生き方」を模索する。


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尾崎ムギ子さんとの交流はかれこれ7、8年になる。
最初は2014年か2015年のDDT両国国技館大会を見に行ったとき、一緒に行く編集者さんが「プロレス好きなライターさんがいるのでお呼びしてもいいですか」と連れてきてくれた。
その日は挨拶程度しか話さなかったが、その後SNSで相互フォローになって、また共通の知人が多かったので別の場所でもお会いすることがあったりして、以来なんとなく緩い関係が続いている。


尾崎さんは最初に書いたプロレス記事が炎上した。

女子SPA!に掲載された『「いい男に抱かれたい」願望が全開に!? “プロレス女子”急増のワケ』という記事である。

今見ると「こういう思わずクリックしたくなる見出しを付けられる編集者は優秀だなあ」と思うが、当時はまあまあ炎上した。
炎上することになった大きなきっかけが、全日本プロレスの佐藤光留が「書いた人間を絶対に許さない」とTwitterで引用したことだ。
そこから尾崎さんはSNS上で「不見識なライター」としていろんな人に叩かれた。
女性ファン、男性ファン、プロレス関係者、そして大多数の「ネット上で過失な言動が誰かに責められてるのを見つけるとその後ろから『正論』という棍棒でボコボコに殴りに行く人」。
初めて書いた記事が炎上し、尾崎さんは相当凹んだという。

しかし尾崎さんはその後もめげずにプロレス以外の記事を書き続け、やがてまたプロレスの記事も書くようになった。
プロレスを通じて「強さとは何か」というテーマを選手に聞きに行く、という連載を始めた。
その一回目に会いに行ったのが見ず知らずの自分を「絶対に許さない」と書いた佐藤光留である。

ちょっとどうかしている。
これではよほど尾崎さんの方が「プロレス」をしている。
(この取材を佐藤は受け、くだんの記事が「どういうところがダメだったのか」を論理的にわかりやすく説明し、最後には尾崎に理解を示す言動を重ねている)

そうしてできた尾崎さんの著書『最強レスラー数珠つなぎ』はプロレスラーのインタビュー集でありながら、インタビューの合間に尾崎さんがこれまで女性として生きてきた中で体験した「うまくいかない」エピソードを生々しく吐露する、これまでに例を見ない…というかほとんど『奇書』に分類されるようなプロレス本だった。

その「普通じゃない」部分がフックになったのか、はたまた別の理由か、『最強レスラー数珠つなぎ』は当初思ったより売れた。
プロレスも本も大事なのは巧拙ではなく、「感情を出すこと」「フックがあること」なのかもしれない。

そんな尾崎さんの第二作である。
この本もまあまあ奇書である。
女子プロレスラーのインタビュー集なのに、合間合間に「うまく男性と付き合えず、廃業寸前の女性ライター」と「彼氏に『結婚したい』と言ったら『相撲で決めよう』と斜め上の提案をされて、流れで相撲取って負けて『やった~結婚しない~』と言われて二重に落ち込む女性編集者」という、「はてなダイアリー」に投稿したらまあまあコメントとブックマークがつくようなエピソードを持つ二人によるビンタの応酬みたいな往復書簡が挟まれていく。
やっぱりどうかしている。

ただし「強さを語る男子レスラーのインタビュー」の中に「女性ライター個人の内面と半生の記録」というアンビバレントな内容が混ざる前著より、「リングに立つ人」と「それを見る人」という立ち位置の違いはあっても「女性として懸命に生きる」というテーマが通底している今作の方が全体の調和が取れている。

プロレス、格闘技両方の道で成功したように見える朱里が本人の中では「ずっと認められていない」という悔しさを抱えていたり、カリスマ的な選手であるジュリアが苛烈ないじめに苦しんでいた子供時代や古巣アイスリボン、亡くなった盟友・木村花への思いを滔々と語っていたり、かと思えば長与千種は自分の話よりも愛弟子・彩羽匠の話をずっとしていたりする。
(長与が彩羽に「手の開き方」や「リングでの目線」を教えた、という話が印象的)


女子プロレスラーは、いやプロレスラーに限らず女性たちは、年齢を重ねる中でかならず何かを“手放す”選択を迫られる。

「仕事でキャリアアップすること」と「出産・育児をすること」を同時並行に進めるのは非常に難しい。
もちろん男性にも出てくる問題ではあるが、より大きな影響を受けるのは女性の方だ。


私が見た中でもっとも印象に残る女子プロレスの試合は、2015年12月の「広田さくら産休興行」で行われた広田さくらと高橋奈七永のシングルマッチである。

広田はこの試合を最後に不妊治療による産休に入ることを発表していた。当時広田は37歳。
産休前最後の試合に、広田は同い年で同期の高橋奈七永を指名した。
奇想天外なコスプレや仕掛けで対戦相手を惑わせ、観客を楽しませる試合をしていた広田に対して高橋は一貫して女子プロレスの最前線で戦っており、この年に「SEAdLINNNG」という団体を旗揚げしていた。
一人は不妊治療による産休に入り、一人は団体社長として試合でも経営でも頑張っていかないといけない立場。
「37歳の女子レスラー」である二人はあまりに違うところに立っていて、その二人が戦うところにクラクラした。

試合は高橋が勝った。
広田もコミカルな部分、普段あまり見せないシリアスな部分、すべてを出して戦っていたが高橋には勝てなかった。

試合後、高橋は広田にマイクで「おまえはおまえの道でがんばれよ、私も頑張るから」というようなことを言った。
広田も同じような言葉を高橋に返した。広田は泣いていたように記憶している。

私はその光景を見ながら「女子プロレスラーが出産・育児をしながらリングでもトップに立つには、どうしたらいいのだろうか」と考えていた。
高橋も本当は出産・育児をする人生を選びたかったのではないか。
広田も本当は休まないでプロレスを続ける人生を選びたかったのではないか。
そもそも二人とも「どちらか」だけを選びたいわけではないのではないか。
二人に、いやすべての女性たちに「選択」をさせているのは社会であり、それはわれわれ男性が作ってきたものであって、自分もそこに黙って加担している。
二人が互いの手をとって健闘を認め合い、いい雰囲気で大会は終わったのに私はずっと帰り道にそのことを考えていた。

ウェブ上には、産休に入る当時の広田さくらのインタビューが今も残っている。

「ほんとは産休したくないんですよ。ずっとプロレスをやっていたいです。今日妊娠して明日生まれないかな、っていうくらい(笑)。そしたらすぐ復帰できますから。でもいま、仕事って、人生って、なんて楽しいんだろうと思っているので、この気持ちを子供に味わわせてあげたいんですよね」

https://joshi-spa.jp/407814

インタビュアーは尾崎ムギ子である。
「人生を切り売りするのが私のプロレス」という広田の言葉は、今見るとそのままその後の尾崎の人生を照らしているようにも思える。


「女の答えがリングにある」は、正直私にはわからない。

ただ、「リングに上がる女」から男の私はいつもいろんなことを教わっている。

眩しさと畏怖が混じった、「かなわない」という思いが、いつも胸の中に残っている。


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「人それぞれ強さって違うじゃないですか。
闘う強さとかもあるんですけど、みんな絶対に強さというのを持っている。
みんな自分が強いと思って生きてほしいです」
(橋本千紘/センダイガールズプロレスリング)

「女の答えはリングにある」第四章「仙台の強い女たち」より

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